2024年03月18日
卒業旅行(3)大阪・和歌山 3/15-3/17
「卒業旅行(2)奈良 3/12-3/14」の続き。
奈良を出て、大阪に入りました。高速道路から大阪城が見えました。


法善寺。水掛不動尊が緑の苔に覆われていました。



コリアタウンの端に御幸森天神宮という神社がありました。日本語とハングルの両方で書かれた石碑がありました。このあたりは昔から朝鮮半島からの渡来人に縁のある土地だったそうです。
鶴橋商店街まで歩きました。アーケードになっていて、韓国料理店や雑貨店が並んでいました。お惣菜はとても美味しかったです。昔ながらの雰囲気を知るには、コリアタウンより鶴橋商店街のほうがよさそうです。今度は鶴橋商店街を、ゆっくり訪れたいです。
和歌山へ向かいました。大阪で遊びすぎたので、道成寺も梅干しの里も通り過ぎて、南紀・白浜へ。観光名所の円月島は、やはり存在感が大きかったです。



日本の中には、さまざまな立場、感性、暮らしがあると思いました。少しドライブするだけで気候も世界観も変わるし、街はそこに集まる人によって、ぜんぜん違う雰囲気になります。奈良・大阪・和歌山は650キロ以上ドライブしました。10日間で、駆け足の旅行でしたが、楽しかったです。

道頓堀を散歩して、たこ焼きとお好み焼きを食べました。すごい人混みで、呆然としました。

法善寺。水掛不動尊が緑の苔に覆われていました。

大阪コリアタウン。食品店とK-POPの店が並んでいて、観光客でにぎわっていました。屋台で済州島の郷土料理をいただきました。


コリアタウンの端に御幸森天神宮という神社がありました。日本語とハングルの両方で書かれた石碑がありました。このあたりは昔から朝鮮半島からの渡来人に縁のある土地だったそうです。

鶴橋商店街まで歩きました。アーケードになっていて、韓国料理店や雑貨店が並んでいました。お惣菜はとても美味しかったです。昔ながらの雰囲気を知るには、コリアタウンより鶴橋商店街のほうがよさそうです。今度は鶴橋商店街を、ゆっくり訪れたいです。
和歌山へ向かいました。大阪で遊びすぎたので、道成寺も梅干しの里も通り過ぎて、南紀・白浜へ。観光名所の円月島は、やはり存在感が大きかったです。

アドベンチャーワールドで、パンダに会いました。笹を食べているところも寝ているところも、間近でゆっくり見られました。ものすごく可愛かったです。

三段壁洞窟。波と風と岩と光のコラボが神秘的でした。熊野水軍が船を隠していた洞窟です。



洞窟の中には牟婁大弁財天が祀られていました。弁財天像としては日本最大級です。眷族の印鑰童子もいました。苗字が同じなので、よく言われるのですが、ぼくが実物を見たのは初めてでした。

白浜のホテルの温泉はすばらしくて、いつまでも入っていたいくらいでした。温泉を飲むこともできました。チェックアウトした後は、太平洋を眺める磯風呂に入りました。日本最古の温泉の一つだそうです。
大阪に戻って、岸和田城を見学しました。

岸和田だんじり会館。彫刻が細やかでした。体験コーナーで、地元の子どもたちが鳴り物を実演してくれました。
大阪に戻って、岸和田城を見学しました。

岸和田だんじり会館。彫刻が細やかでした。体験コーナーで、地元の子どもたちが鳴り物を実演してくれました。

日本の中には、さまざまな立場、感性、暮らしがあると思いました。少しドライブするだけで気候も世界観も変わるし、街はそこに集まる人によって、ぜんぜん違う雰囲気になります。奈良・大阪・和歌山は650キロ以上ドライブしました。10日間で、駆け足の旅行でしたが、楽しかったです。
いんやく りお

2024年03月18日
卒業旅行(2)奈良 3/12-3/14
「卒業旅行(1)横浜・東京 3/8-3/11」の続き。
奈良の山奥の洞川温泉に着いたときは、暗くなっていました。提灯の明かりが幻想的で、「千と千尋」の世界のようでした。350年の歴史がある「行者の宿」に泊まりました。
朝は吹雪いていました。龍泉寺にお参りして、御朱印帳をいただきました。遠くから参拝に来る、熱心な信者さんがいました。天川村では、修験道にゆかりのある寺社をめぐりました。大峰山は現在も女人禁制だそうです。
猪と鹿のジビエ。牡丹鍋とても美味しかったです。中国人の友達にSNSで知らせたら、「確かに、野生の豚のほうが養殖の豚より美味しい」という答えが返ってきて、なるほどと思いました。(中国語では豚肉を「猪肉」といいます)






奈良の山奥の洞川温泉に着いたときは、暗くなっていました。提灯の明かりが幻想的で、「千と千尋」の世界のようでした。350年の歴史がある「行者の宿」に泊まりました。

朝は吹雪いていました。龍泉寺にお参りして、御朱印帳をいただきました。遠くから参拝に来る、熱心な信者さんがいました。天川村では、修験道にゆかりのある寺社をめぐりました。大峰山は現在も女人禁制だそうです。

猪と鹿のジビエ。牡丹鍋とても美味しかったです。中国人の友達にSNSで知らせたら、「確かに、野生の豚のほうが養殖の豚より美味しい」という答えが返ってきて、なるほどと思いました。(中国語では豚肉を「猪肉」といいます)


奈良市内に下りました。法隆寺に着いたとき、あまりに広くて、門の前で呆然としました。資料館では、一万円札になった「聖徳太子二王子像」の本物を見ました。


唐招提寺。鑑真ゆかりの寺です。鑑真は「山川異域 風月同天」の漢詩に心を動かされて、沖縄経由で来日しました。

奈良公園。鹿せんべいがほしくておじぎするのが可愛かったです。

東大寺の大仏は、衝撃的でした。莫大な資金と労力をかけて巨大な仏像を建立したパワーには、ただ圧倒されました。大仏の建立には、天然痘蔓延という背景があったそうです。東大寺は、何もかも、規模が大きかったです。大きさには力があること、大きさは人を圧倒することを実感しました。

東大寺の大仏は、衝撃的でした。莫大な資金と労力をかけて巨大な仏像を建立したパワーには、ただ圧倒されました。大仏の建立には、天然痘蔓延という背景があったそうです。東大寺は、何もかも、規模が大きかったです。大きさには力があること、大きさは人を圧倒することを実感しました。

天川村の修験道の世界観では、巨大で圧倒的なものといえば、自然なのではないかと思います。山を下りて、平地の奈良では、人間が巨大で圧倒的な何かを作ろうとしていたのが印象的でした。
平城京跡地を通り過ぎて、大阪・和歌山へ。「卒業旅行(3) 大阪・和歌山 3/15-3/17」に続く。
いんやく りお
2024年03月18日
卒業旅行(1)横浜・東京 3/8-3/11
卒業旅行(東京・奈良・大阪・和歌山 3/8-3/17)に行きました。10日間で、中華街、政治と官庁の街、ビジネス街、繁華街、コリアタウン、山村、古都、海辺の温泉地を歩きました。道教寺院、モスク、山寺、奈良の寺を見学して、季節も吹雪から春までありました。「横浜・東京」「奈良」「大阪・和歌山」に分けて、アップロードします。




モスクのそばに、JASRACを発見。隣の「古賀政男音楽博物館」を見学しました。
国会議事堂を見学して、参議院の赤じゅうたんの上を歩きました。本会議場は思ったより小さかったです。琉球石灰岩が階段に使われていました。庭には各都道府県の木が移植されていて、沖縄の木はソテツでした。


国会前広場に立って、デモの現場はここか、と思いました。首相官邸のほうまで歩いてタクシーに乗り、霞ヶ関を見学してから銀座に出て、築地本願寺を見学しました。石造りの建物で、シルクロード文化の雰囲気があります。東日本大震災の法要をしていました。
歌舞伎座まで歩きました。歌舞伎を見たかったけど、休演日でした。



最初は、ずっと行きたかった横浜中華街でした。関帝廟と媽祖廟にお参りしました。たくさんの神様がいて、長い線香を順番に1本ずつお供えしました。金紙も燃やしました。風が吹いて金紙が吸い込まれていく様子が面白かったです。おみくじは、三日月の形をした「神筈(しんばえ)」を落として、表と裏が出たら、おみくじを受け取るというものでした。

中華街は、レストランと占いの店が並んでいました。お店の人が商売上手で、「福」の飾り、龍の置物、獅子のキーホルダーを買いました。街のあちこちでリアルな中国語を聞くことができて、楽しかったです。北京ダック、初めて食べました。おいしかった!

日本最大のモスク「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」を見学しました。とても美しい建築で、コーランは歌のようでした。


モスクのそばに、JASRACを発見。隣の「古賀政男音楽博物館」を見学しました。
国会議事堂を見学して、参議院の赤じゅうたんの上を歩きました。本会議場は思ったより小さかったです。琉球石灰岩が階段に使われていました。庭には各都道府県の木が移植されていて、沖縄の木はソテツでした。


国会前広場に立って、デモの現場はここか、と思いました。首相官邸のほうまで歩いてタクシーに乗り、霞ヶ関を見学してから銀座に出て、築地本願寺を見学しました。石造りの建物で、シルクロード文化の雰囲気があります。東日本大震災の法要をしていました。

歌舞伎座まで歩きました。歌舞伎を見たかったけど、休演日でした。

丸の内を散歩して、マンハッタンのようだと思いました。Apple丸の内で遊んで、夕食は丸ビルでした。フカヒレスープと青島ビール、ごちそうさまでした。丸ビルからは夜景がきれいでした。夜景を見ると、小さい頃、入院していたとき、窓から見た景色を思い出します。

ホテルからは皇居と、その向こうの高層ビル街が見えました。9歳まで東京で暮らしていましたが、都心をじっくり見るのは初めてだったので、とても面白かったです。

2024年01月15日
FMレキオ「ラジオの駅」に出演しました 1/15
FMレキオ「ラジオの駅」に出演しました。(放送 1月15日 21:00〜) 収録では、大学の先輩の猪野屋楓 さんにお会いできて、嬉しかったです。パーソナリティの中村航大 さん、ありがとうございました。


いんやく りお (那覇市/FMレキオ・スタジオ)
タグ :メディア
2023年12月23日
「心臓病の子どもを守る会」クリスマスパーティ 12/23
ぼくは心疾患があり、小さいときからボランティアの方たちにとてもお世話になりました。最近はストレスで声が出にくい状況だったので、少し不安だったのですが、あたたかい雰囲気の中、のびのびと歌うことができました。
今年は年末になってやっと、それまで言わずに我慢していたことを、言うことができました。表現者としては、自分の心に嘘をつかず、伝えたいことはまっすぐに伝えることが大切だと、実感しました。
お招きくださった事務局のみなさま、どうもありがとうございました。

お招きくださった事務局のみなさま、どうもありがとうございました。

いんやく りお
2023年12月21日
ご報告
印鑰智哉氏の講演録『「遺伝子組換え」シリーズ・シンポジウム第2回報告 ~世界での遺伝子組み換え問題の実情と日本~』(2016年6月23日)について、「私はそういう情報を知ってから、食に気を付け、子は元気になっている」という記述と、「自閉症の子を持つ親として」という記述について、文責の「NPO法人農都会議」から当該箇所を削除したという連絡を受けました。
私は自閉症ではありません。
また、私が「食」に気をつけて「元気」になった事実はありません。
私は講演録の差し替えを確認し、智哉氏とは二度とお互いの人生に関わらないことで合意しました。したがって、12月21日の投稿「ご報告」は、非公開とさせていただきます。
ご心配くださった皆さま、どうもありがとうございました。
2024年1月3日(1月5日 訂正) いんやく りお(印鑰理生)
私は自閉症ではありません。
また、私が「食」に気をつけて「元気」になった事実はありません。
私は講演録の差し替えを確認し、智哉氏とは二度とお互いの人生に関わらないことで合意しました。したがって、12月21日の投稿「ご報告」は、非公開とさせていただきます。
ご心配くださった皆さま、どうもありがとうございました。
2024年1月3日(1月5日 訂正) いんやく りお(印鑰理生)
2023年12月10日
MAKING THE BAND – TOGETHER WE GO-GO 11/16, 17, 19 (JST)
ジョージタウン大学のミュージカルにオンラインで出演しました。リアルタイムのセッションができればいいのですが、いまの技術では遅延の問題があるので、ぼくが「ハリクヤマク」「ひやみかち節」「唐船ドーイ」を演奏した動画に合わせて、後半2曲をバンドがコラボしてくれました。会場は盛り上がったと聞いて、嬉しかったです。

ミュージカルには、琉球古典舞踊の先生たちがカリフォルニアやハワイから参加して、GO-GOで踊る場面もありました。とても面白かったし、海外に移住しても沖縄の心を伝え続ける人たちがいるのは、すごいと思いました。

ミュージカルは GO-GOミュージックがテーマでした。GO-GOはワシントンD.C.で生まれたブラック音楽で、コールアンドレスポンスを多用し、ファンク、サルサ、ソウル、ゴスペル、ブルース、ラテン音楽のパーカッションとビートをミックスしています。
1980年代に麻薬と暴力が問題になり、GO-GOはスケープゴートにされました。クラブはバンドの入場を拒否したり、GO-GOバンドを生んだ学校が音楽教育プログラムを閉鎖せざるをえなくなったりしました。

2019年、GO-GOのホットスポットだった店舗が、近くの高級マンションの住人の苦情で、GO-GOを流さないようにしたことから、多くのワシントン市民が立ち上がりました。地域が再開発されると、市場価値が上がる一方で、それまでの住民が追い出されたり、文化的多様性が失われたりします。GO-GOは、そういった状況に対する、地元の抵抗の象徴になりました。#DontMuteDC
Washington Post によると、2020年2月、ワシントンD.C.の市長は、GO-GOをワシントンの公式音楽とする法案に署名しました。現在、GO-GOは、ワシントンの歴史と文化的重要性を表現するだけでなく、雇用を創出し、観光客を誘致し、芸術と創造性を育成することが期待されているそうです。
さまざまな問題がある中で、地元の文化と尊厳を守ろうとしているのは、アメリカの強さだと思いました。沖縄の音楽にも、共通する可能性があると思います。いつか現地でGO-GOを聴きたいです。貴重な機会をありがとうございました。
いんやく りお (Georgetown University / Washington D.C., online)
いんやく りお (Georgetown University / Washington D.C., online)

I appeared in Georgetown University's musical online. It would be great if we could do a real-time session, but current technology has problems with delays, so the GO-GO band played the latter two songs along with the video of me playing "Hariku-yamaku," "Hiyamikachi Bushi," and "Toshin doi." I was happy to hear that the venue was so lively.
There was also a scene in the musical where Ryukyuan classical dance teachers came from California and Hawaii to perform with GO-GO music. It was very interesting, and I thought it was amazing that Okinawans continue to convey the spirit of Okinawa even after moving overseas.

The theme of the musical was GO-GO music. GO-GO is a form of black music originating in Washington, D.C., with lots of call-and-response and mixes percussion and beats from funk, salsa, soul, gospel, blues, and Latin music.
In the 1980s, drugs and violence became a big problem, and GO-GO was made the scapegoat. Clubs refused to admit bands, and schools that produced GO-GO bands were forced to close their music education programs.

In 2019, many Washingtonians stood up after a store that was a GO-GO hotspot stopped playing GO-GO due to complaints from residents of a nearby luxury apartment complex. When an area is redeveloped, its market value increases, but at the same time traditional residents are forced out and cultural diversity is lost. GO-GO has become a symbol of local resistance to this situation. #DontMuteDC
According to a Washington Post article, in February 2020, the mayor of Washington, D.C., signed a bill making GO-GO the official music of Washington. Today, GO-GO is expected to not only represent Washington's history and cultural significance, but also create jobs, attract tourists, and foster art and creativity.
I believe that America's strength lies in its efforts to protect local culture and dignity amidst various social problems. I think that Okinawan music has something in common in terms of its potential. I want to listen to GO-GO in Washington D.C. someday. I appreciate this precious experience online. Thank you.
Rio Inyaku
Rio Inyaku


タグ :国際イベント
2023年11月29日
平敷屋朝敏に感謝するつどい 11/26
「平敷屋朝敏を語る会」のお誘いで、第2回「平敷屋朝敏に感謝するつどい」に参加しました。ぼくは缶から三線で「ひやみかち節」を演奏しました。

いただいた資料によると、朝敏は1700年に生まれました。1718年、玉城朝薫の江戸立ちに参加しており、組踊「手水の縁」の作者として知られています。朝敏は1727年から1年ほど平敷屋村に滞在し、タキノークムイ(心字池)を造って、村の水不足を解消しました。朝敏の作品「貧家記」には、領民の生活が和歌とともに描写され、領民へのあたたかい眼差しが見られます。
朝敏は、1734年、友寄親方安乗などと王府を批判した無記名文書を投じたとされ、15人が安謝で処刑されました。安乗と朝敏は八付、その他は斬首という、琉球史に例を見ない厳罰でしたが、王府の歴史書には記録がなく、資料も残されておらず、事件の真相は現在でも不明だそうです。
琉球史については、わかっていないことがたくさんあります。それでも、言い伝えなどを掘り起こして、朝敏の名誉回復に努力する人がいるのは、すごいことだと思いました。


いただいた資料によると、朝敏は1700年に生まれました。1718年、玉城朝薫の江戸立ちに参加しており、組踊「手水の縁」の作者として知られています。朝敏は1727年から1年ほど平敷屋村に滞在し、タキノークムイ(心字池)を造って、村の水不足を解消しました。朝敏の作品「貧家記」には、領民の生活が和歌とともに描写され、領民へのあたたかい眼差しが見られます。
朝敏は、1734年、友寄親方安乗などと王府を批判した無記名文書を投じたとされ、15人が安謝で処刑されました。安乗と朝敏は八付、その他は斬首という、琉球史に例を見ない厳罰でしたが、王府の歴史書には記録がなく、資料も残されておらず、事件の真相は現在でも不明だそうです。
琉球史については、わかっていないことがたくさんあります。それでも、言い伝えなどを掘り起こして、朝敏の名誉回復に努力する人がいるのは、すごいことだと思いました。

いんやく りお(タキノー・平敷屋公園内/うるま市)
2023年11月23日
大分・熊本・福岡・長崎 11/7-11/13
「結風の宴」出演をきっかけに、九州を旅行しました。久しぶりの県外でした。阿蘇は車で走っても走っても海が見えず、九州は広いなあと思いました。福岡・大分・熊本・佐賀・長崎とめぐって、車でいつの間にか県境を越えていることに、わくわくしました。
別府に着いたら、町のあちこちで湯煙が上がっていました。写真は海地獄で、落ちた牛が溶けたという言い伝えがあるそうです。

海地獄の隣にありました。真っ赤でした。別府の温泉は50年前の雨水が湧き出しているそうです。


金鱗湖。朝霧が立ち込めていて幻想的でした。太陽が上るにつれて、靄が晴れていきました。


旅館の部屋から由布岳がきれいに見えました。神の山と崇められていたのも納得しました。

湯布院の観光馬車。ベルギーでエビ漁をしていた馬だそうです。与那国馬と比べて巨大で、びっくりしました。ダム建設やバブルなどの開発問題が持ち上がったとき、住民は独自の町おこしをすると決めて、観光馬車もその一部だそうです。

紅葉がきれいでした。久しぶりに見ました。

鍋ヶ滝公園。サントリー天然水のCMのロケ地です。滝の裏側に回って、ずっと眺めていました。

大観峰。阿蘇が大噴火した後のカルデラと外輪山がきれいに見えました。展望台までがんばって歩いてよかったです。

牧草地を抜けてドライブしました。草千里で馬に乗りました。

阿蘇中岳。火山活動によっては立入禁止ですが、この日は火口付近まで近づけました。地球は生きていると思いました。

生まれて初めてフランス料理のコースをいただきました。フォアグラおいしかったです。

八千代座。山鹿市にある芝居小屋で、国の重要文化財です。天井の広告デザインに圧倒されました。廻り舞台やスッポンなどの仕掛けも見学できて、面白かったです。

生まれて初めてフランス料理のコースをいただきました。フォアグラおいしかったです。

八千代座。山鹿市にある芝居小屋で、国の重要文化財です。天井の広告デザインに圧倒されました。廻り舞台やスッポンなどの仕掛けも見学できて、面白かったです。

山鹿の提灯。紙で作られています。山鹿提灯まつりも見てみたいです。

長崎中華街で中華料理を食べました。おいしかったです。

お土産に大きな提灯と赤い靴下を買いました。次は横浜中華街にも行ってみたいです。

長崎の平和公園にお参りしました。

中国や朝鮮出身の犠牲者も多かったそうです。

その土地だから感じることもあると思いました。これからも、いろいろなところに行って、いろいろなことを感じてみたいです。
いんやく りお
2023年11月18日
もりたけいた「唄者対談」に出演しました 11/17
もりたけいたくんの「唄者対談」に出演しました。けいたくんは大学の同級生で、オープンキャンパスのときからの知り合いです。沖永良部島の出身で、島の民謡に詳しく、大学で琉球古典音楽を学びながら、民謡やポップスのショート動画の投稿もしています。
けいたくんとは、大学に入学したらセッションしようと約束して、楽しみにしていました。でも、ぼくはここ数年、外出自粛を続けていたので、対面ではほとんど会えていません。これから外出を増やしていく予定なので、何かできたらいいなと思っています。
けいたくん、対談に呼んでくれて、どうもありがとう! いつか一緒に何かしようね!
いんやく りお

けいたくん、対談に呼んでくれて、どうもありがとう! いつか一緒に何かしようね!
いんやく りお

2023年11月18日
【熊本】結風ぬ宴 11/11
九州各地の創作エイサー団体が集うイベント「結風ぬ宴」に、U-maku Eisa Shinka Indonesiaの地謡として参加しました。


U-makuは、長旅の疲れを感じさせない、迫力ある演舞でした。パワーアップしていて、すばらしかったです。ぼくは「シンカヌチャー」「Wonderland Indonesia」、オリジナル楽曲「Garuda Ryukyu」の地謡をしました。

「Garuda Ryukyu」では、カチャーシータイムに、客席の皆さんがステージに上がって、カチャーシーを踊ってくださいました。熊本の山の中に、沖縄の風が吹いたようで、とても楽しかったです。ありがとうございました。

U-makuとは「また会おうね」と約束しました。U-makuは帰国後すぐ、ジャカルタで「ジャパン祭」という大きなイベントに参加します。” See you in Jakarta next year!” と声をかけてもらって、とても楽しみです。

大きなステージに、10チーム、数百人のメンバーが集結しました。このような大規模イベントが、また開催できるようになって、本当によかったです。関係者の皆さま、お疲れさまでした。どうもありがとうございました。

いんやく りお(ホテルセキア リゾート&スパ/熊本県)

I participated in the event "Yuikaji nu utage" (the Bridge to Okinawa Festival) with U-maku Eisa Shinka Indonesia, where creative Eisa groups from all over Kyushu gather. I was happy to meet them. Three of them for the first time in two months, and two of them I saw for the first time!
U-maku' s performance was very powerful that didn't make us feel the long journey from Jakarta. It was amazing. I collobrated with them with "Shinkanucha", "Wonderland Indonesia", and my original song "Garuda Ryukyu".

Before and after the event, I traveled around Kyushu. I visited hot springs in Beppu, Yufuin, Kameyama, Kuju, and Yamaga. We drove around Aso, rode horses, and enjoyed the autumn leaves. I bought a large lantern at Nagasaki Chinatown. Kyushu has a lot of delicious food. I want to go there again.

U-maku メンバーは、この日のためにジャカルタから来日しました。初めて会うメンバーもいて、嬉しかったです。

U-makuは、長旅の疲れを感じさせない、迫力ある演舞でした。パワーアップしていて、すばらしかったです。ぼくは「シンカヌチャー」「Wonderland Indonesia」、オリジナル楽曲「Garuda Ryukyu」の地謡をしました。

「Garuda Ryukyu」では、カチャーシータイムに、客席の皆さんがステージに上がって、カチャーシーを踊ってくださいました。熊本の山の中に、沖縄の風が吹いたようで、とても楽しかったです。ありがとうございました。

U-makuとは「また会おうね」と約束しました。U-makuは帰国後すぐ、ジャカルタで「ジャパン祭」という大きなイベントに参加します。” See you in Jakarta next year!” と声をかけてもらって、とても楽しみです。

チームの演舞には、それぞれ個性があるのが面白かったです。U-makuは「進撃の巨人」でも演舞しました。九州のチームには、伝統芸能の所作を取り入れた演舞もありました。芸能は伝播する中で、姿を変えていくのだと感じました。それは、芸能が生きものだからだと思います。
大きなステージに、10チーム、数百人のメンバーが集結しました。このような大規模イベントが、また開催できるようになって、本当によかったです。関係者の皆さま、お疲れさまでした。どうもありがとうございました。

旅行の前後は、九州を旅しました。別府、湯布院、亀山、久住、山鹿と、温泉をめぐりました。阿蘇をドライブして、馬に乗り、紅葉を楽しみました。長崎中華街で、大きな提灯を買いました。九州には、おいしいものがたくさんありました。また遊びに行きたいです。
いんやく りお(ホテルセキア リゾート&スパ/熊本県)

I participated in the event "Yuikaji nu utage" (the Bridge to Okinawa Festival) with U-maku Eisa Shinka Indonesia, where creative Eisa groups from all over Kyushu gather. I was happy to meet them. Three of them for the first time in two months, and two of them I saw for the first time!
U-maku' s performance was very powerful that didn't make us feel the long journey from Jakarta. It was amazing. I collobrated with them with "Shinkanucha", "Wonderland Indonesia", and my original song "Garuda Ryukyu".
During the kachashi time in "Garuda Ryukyu", many audience got on stage and danced kachashi. It felt like the wind of Okinawa was blowing in the mountains of Kumamoto, and it was so much fun. Thank you very much.
I promised U-maku that we would meet again. In fact, immediately after returning to Indonesia, U-maku will participate in a big event called "Japan Festival" in Jakarta. I'm really happy when U-maku said to me "See you in Jakarta next year!''

It was interesting to see how each team's dance had its own unique characteristics. U-maku performed in "Singeki no kyojin". Some teams from Kyushu performed a dance that incorporated movements from traditional performing arts. I felt that the performing arts change as they spread. I think that's because the performing arts is a living thing.
Ten teams and hundreds of members gathered on a large stage. I'm really glad that we're able to hold such a large-scale event again. I appreciate to everyone involved for this event.
I promised U-maku that we would meet again. In fact, immediately after returning to Indonesia, U-maku will participate in a big event called "Japan Festival" in Jakarta. I'm really happy when U-maku said to me "See you in Jakarta next year!''

It was interesting to see how each team's dance had its own unique characteristics. U-maku performed in "Singeki no kyojin". Some teams from Kyushu performed a dance that incorporated movements from traditional performing arts. I felt that the performing arts change as they spread. I think that's because the performing arts is a living thing.
Ten teams and hundreds of members gathered on a large stage. I'm really glad that we're able to hold such a large-scale event again. I appreciate to everyone involved for this event.

Before and after the event, I traveled around Kyushu. I visited hot springs in Beppu, Yufuin, Kameyama, Kuju, and Yamaga. We drove around Aso, rode horses, and enjoyed the autumn leaves. I bought a large lantern at Nagasaki Chinatown. Kyushu has a lot of delicious food. I want to go there again.
Rio Inyaku (Resort & Spa HOTEL SEKIA/ Kumamoto)

タグ :国際イベント
2023年11月04日
首里城復興祭 11/3
御茶屋御殿復元期成会の方のお誘いで、龍潭通りのパレードに参加しました。皆さんと一緒に、沖縄民謡を歌いながら歩きました。

ぼくたちの後ろは赤田のミルク様で、その後は古式行列が続きました。

期成会の方から、御茶屋御殿について教えてもらいました。御茶屋御殿は、17世紀後半、首里崎山町に、外国の使節を歓待する迎賓館として建てられました。歴代の冊封使は御茶屋御殿を気に入り、多くの文章や漢詩を残したそうです。御茶屋御殿では一流の文化人が技を披露し、庶民も招かれることがあったようです。

首里城の復興だけでなく、御茶屋御殿も復元されて、伝統芸能の上演などを通して、新たな文化交流の場が創られるといいなと思います。

いんやく りお(首里城復興祭/那覇市)

ぼくたちの後ろは赤田のミルク様で、その後は古式行列が続きました。

期成会の方から、御茶屋御殿について教えてもらいました。御茶屋御殿は、17世紀後半、首里崎山町に、外国の使節を歓待する迎賓館として建てられました。歴代の冊封使は御茶屋御殿を気に入り、多くの文章や漢詩を残したそうです。御茶屋御殿では一流の文化人が技を披露し、庶民も招かれることがあったようです。

首里城の復興だけでなく、御茶屋御殿も復元されて、伝統芸能の上演などを通して、新たな文化交流の場が創られるといいなと思います。

パレードの後は、首里公民館で集まりがあり、ぼくは缶から三線でひやみかち節を演奏しました。琉球菓子もおいしかったです。ありがとうございました!
いんやく りお(首里城復興祭/那覇市)

2023年10月22日
山内昌也先生の独演会「渓の響」に行きました 9/30
ぼくの投稿が琉球新報に掲載されました。山内昌也先生の演奏会の感想です。先生は沖縄県立芸術大学教授で、ぼくの恩師です。
山内先生の歌三線は、玉陵の奉納演奏を聴いたときも、不思議な感覚に包まれました。音楽にはいろいろな力があることを気づかされます。県外の方にも、ぜひ聴いてもらいたいなと思います。山内先生、いつもありがとうございます。
いんやく りお
琉球古典音楽の祖・湛水親方生誕400年を記念して9月30日、山内昌也先生の独演会「渓の響」が国立劇場おきなわで開催された。
山内先生は、ぼくの琉球古典音楽の恩師だ。先生の歌三線を聴いていると、心が時間そのものに変わっていく。時間が引き延ばされたり揺られたりして、独特な空間が生まれる。ぼくは、琉球古典音楽は空間芸術だと思う。
湛水は三線音楽を確立する際、おもろやクェーナなどの要素を取り入れた。琉球古典音楽は宮廷芸能として洗練されたが、古来の神歌を引き継ぎ、神事の要素も遺っているのではないか。首里城が再建されたら、正殿で山内先生の奉納演奏がされることを願っている。あの空気感が首里城で再現されたら、琉球国時代の人たちはきっと喜ばれるだろう。
湛水は、あえて琉球独自の芸能をつくり上げようとした。それは大和芸能を重視する羽地朝秀とのすれ違いを生み、湛水は遊女との恋をとがめられて、首里を追われた。
海の向こうからはよいものも悪いものもやってきて、豊かさも葛藤ももたらした。琉球の美を先人と共有し、その祈りから学ぶことは、沖縄がどこに向かおうとしているのか見つめる大切な機会になると思う。
「琉球古典音楽は空間芸術」
琉球古典音楽の祖・湛水親方生誕400年を記念して9月30日、山内昌也先生の独演会「渓の響」が国立劇場おきなわで開催された。
弦の擦れる音、余韻、無音の豊かさに浸りながら、琉球国時代の人たちはこの繊細な空気感を楽しんだのだと思った。琉球古典音楽の空気感は日常の時間を軽々と超える。舞台の山内先生は、上品なおじいさんの面影と二重写しになって見えた。琉球国時代の人が、先生と共に歌っているようだった。
山内先生は、ぼくの琉球古典音楽の恩師だ。先生の歌三線を聴いていると、心が時間そのものに変わっていく。時間が引き延ばされたり揺られたりして、独特な空間が生まれる。ぼくは、琉球古典音楽は空間芸術だと思う。
湛水は三線音楽を確立する際、おもろやクェーナなどの要素を取り入れた。琉球古典音楽は宮廷芸能として洗練されたが、古来の神歌を引き継ぎ、神事の要素も遺っているのではないか。首里城が再建されたら、正殿で山内先生の奉納演奏がされることを願っている。あの空気感が首里城で再現されたら、琉球国時代の人たちはきっと喜ばれるだろう。
湛水は、あえて琉球独自の芸能をつくり上げようとした。それは大和芸能を重視する羽地朝秀とのすれ違いを生み、湛水は遊女との恋をとがめられて、首里を追われた。
海の向こうからはよいものも悪いものもやってきて、豊かさも葛藤ももたらした。琉球の美を先人と共有し、その祈りから学ぶことは、沖縄がどこに向かおうとしているのか見つめる大切な機会になると思う。

2023年09月19日
インドネシアのエイサー隊と琉球村で舞う! 9/14
U-maku Eisa Shinka Indonesia が、数年ぶりに沖縄に来て、コラボステージをしました。琉球村のステージは、とても雰囲気がよくて、楽しかったです。 ぼくの楽曲「Garuda Ryukyu」をU-makuに踊ってもらえて、嬉しかったです。平日なのに、たくさんの方が来てくださって、感激しました。どうもありがとうございました。


平田大一さんがいらしたときは、びっくりしました。久しぶりに平田さんにお会いできて、すごく嬉しかったです。U-makuも大喜びしていました。ありがとうございました!

インドネシアの楽曲「Wonderland Indonesia」では、三線とコラボしました。インドネシア舞踊の所作を取り入れた演舞が、印象的でした。 沖縄は、チャンプルー文化といわれます。「チャンプルー」とは、沖縄語で「混ぜこぜ」という意味です。チャンプルーは、インドネシア語 campur(混ぜる)に由来します。昔から今も、文化はいつもお互いに影響を受け、変化していくものなのだ、と感じました。

U-maku との出会いは、2017年、世界エイサー大会でした。ぼくもU-maku も、別のステージに出演していました。2020年、U-makuの18周年記念オンラインイベントに誘われ、楽曲「Garuda Ryukyu」をプレゼントしたことから、仲良くなりました。
コロナのパンデミックで、外に出られなくて辛かった時期、U-maku のおかげで、ぼくは元気をもらいました。ずっと会いたいと思っていたので、すごく嬉しかったです。

11月には、熊本で開催される「結風ぬ宴〜沖縄への架け橋」で、U-maku とコラボステージをします。お近くのかたはぜひ、遊びにいらして下さい!

11月のイベントのポスターです↓

U-maku Eisa Shinka Indonesia came to Okinawa for the first time in several years and we enjoyed a collaboration stage "Dance with Indonesian Eisa team at Ryukyu Mura".
Ryukyu Mura has a great atmosphere and we enjoyed a lot. I was happy to have U-maku dance to my song "Garuda Ryukyu."
I was thrilled to see so many people come even though it was a weekday. Thank you very much. I was so surprised when I saw Mr. Daiichi Hirata. I was so happy to meet him for the first time in a while, and so was U-maku. We appreciate a lot.
For the Indonesian music "Wonderland Indonesia", we collaborated with sanshin. The performance, which incorporated movements from Indonesian dance, was very impressive.
Okinawa is said to have a so-called "chanpuru culture". The word "chanpuru" means "to mix" in Okinawan language. It comes from the Indonesian word "campur" (to mix). I felt that from ancient times to now, cultures are always influenced by each other and keep changing.
I first met U-maku at the World Eisa Convention 2017. Both me and U-maku were performing on different stages. In 2020, I was invited to U-maku's 18th anniversary online event and presented them my original song "Garuda Ryukyu" as a gift, and we became good friends.
When I was having a hard time due to the coronavirus pandemic, U-maku gave me lots of energy. I was really happy when we could finaly meet face to face, for the first time in a long time.
In November, we will be collaborating again on stage at "Yuikaji nu utage 〜Culutural Bridge to Okinawa〜" held in Kumamoto. If you are in the area, please come and enjoy together!
Rio Inyaku

インドネシアの楽曲「Wonderland Indonesia」では、三線とコラボしました。インドネシア舞踊の所作を取り入れた演舞が、印象的でした。 沖縄は、チャンプルー文化といわれます。「チャンプルー」とは、沖縄語で「混ぜこぜ」という意味です。チャンプルーは、インドネシア語 campur(混ぜる)に由来します。昔から今も、文化はいつもお互いに影響を受け、変化していくものなのだ、と感じました。

U-maku との出会いは、2017年、世界エイサー大会でした。ぼくもU-maku も、別のステージに出演していました。2020年、U-makuの18周年記念オンラインイベントに誘われ、楽曲「Garuda Ryukyu」をプレゼントしたことから、仲良くなりました。
コロナのパンデミックで、外に出られなくて辛かった時期、U-maku のおかげで、ぼくは元気をもらいました。ずっと会いたいと思っていたので、すごく嬉しかったです。

11月には、熊本で開催される「結風ぬ宴〜沖縄への架け橋」で、U-maku とコラボステージをします。お近くのかたはぜひ、遊びにいらして下さい!
いんやく りお (琉球村「沖縄の駅 ちゃんぷるーステージ」/恩納村)


U-maku Eisa Shinka Indonesia came to Okinawa for the first time in several years and we enjoyed a collaboration stage "Dance with Indonesian Eisa team at Ryukyu Mura".
Ryukyu Mura has a great atmosphere and we enjoyed a lot. I was happy to have U-maku dance to my song "Garuda Ryukyu."
I was thrilled to see so many people come even though it was a weekday. Thank you very much. I was so surprised when I saw Mr. Daiichi Hirata. I was so happy to meet him for the first time in a while, and so was U-maku. We appreciate a lot.
For the Indonesian music "Wonderland Indonesia", we collaborated with sanshin. The performance, which incorporated movements from Indonesian dance, was very impressive.
Okinawa is said to have a so-called "chanpuru culture". The word "chanpuru" means "to mix" in Okinawan language. It comes from the Indonesian word "campur" (to mix). I felt that from ancient times to now, cultures are always influenced by each other and keep changing.
I first met U-maku at the World Eisa Convention 2017. Both me and U-maku were performing on different stages. In 2020, I was invited to U-maku's 18th anniversary online event and presented them my original song "Garuda Ryukyu" as a gift, and we became good friends.
When I was having a hard time due to the coronavirus pandemic, U-maku gave me lots of energy. I was really happy when we could finaly meet face to face, for the first time in a long time.
In November, we will be collaborating again on stage at "Yuikaji nu utage 〜Culutural Bridge to Okinawa〜" held in Kumamoto. If you are in the area, please come and enjoy together!
Rio Inyaku
n.

タグ :国際イベント
2023年08月20日
22歳になりました
誕生日メッセージありがとうございます。この一年は色々あり、創作する気力がありませんでした。このところやっとトンネルを抜けて、偶然の出会いや嬉しい再会が続いています。
9月はインドネシアの友達が沖縄に来て、コラボステージをします。3年前からずっとオンラインで連絡をとっていました。やっと対面で会えるのが、とても嬉しいです。
他には、中国の友達と新曲を制作中です。11月にはワシントンDCのイベントにオンラインで出演します。アフリカ系アメリカンの音楽とコラボするのは初めてで、とても楽しみです。
最近は、パンダの動画にはまっています。パンダは、寝たり起きたり、竹や笹を食べたり、登ったり落ちたりして過ごしています。感情が高ぶると、でんぐり返しをします。パンダの様子を見ていると、気持ちがなごみます。
パンダはもともと肉食でしたが、エサをめぐる競争から脱落して、大量に生えている竹を食べるようになったそうです。争いを避けるには、そのような生き方もあるのだなと思います。
パンダについては、2020年のアジア人差別のニュースを読んでいたとき、”DESTORY RACISM:BE LIKE A PANDA. HE’S BLACK, HE’S WHITE, HE’S ASIAN” というキャッチコピーを知って、面白いなと思っていました。パンダの生態を知って、そのキャッチコピーを読むと、さらに面白く思います。
いつか、中国の成都パンダ基地に行ってみたいです。感染症の心配なく、世界のどこでも気軽に行かれる日々が戻ってきますように!
いんやく りお

Thank you for birthday message. I had a lot going on in my life this past year. I didn't have the energy to create music, but I'm finally feeling better now. These days, happy encounters and reunions continue.
In September, my Indonesian friends will come to Okinawa, and we are going to have a collaboration stage. I've been in touch with them online for 3 years. I am very happy to finally meet them face to face.
Other than that, I am working on a new song with my friend in China. Furthermore, I will be appearing online at an event in Washington DC in November. It's my first time collaborating with African American music, and I'm really looking forward to it.
Lately, I've been obsessed with panda videos. Pandas spend their time sleeping and waking, eating bamboo, climbing and falling. When they get emotional, they flip over. Looking at the pandas makes me feel relaxed.
Pandas were originally carnivorous, but they dropped out of the competition for food and began to eat the bamboo that grows in large quantities. I think they know the way to avoid conflict.
Regarding pandas, when I read the online news about discrimination against Asians in 2020, I also read the catch phrase "DESTORY RACISM: BE LIKE A PANDA. HE'S BLACK, HE'S WHITE, HE'S ASIAN", which left an impression on me. And I find it more interesting when I learned about panda's ecology.
Someday, I would like to visit the Chengdu Panda Base in China. I hope that the days will return, when we can go anywhere in the world without worrying about infectious diseases.
Rio Inyaku
9月はインドネシアの友達が沖縄に来て、コラボステージをします。3年前からずっとオンラインで連絡をとっていました。やっと対面で会えるのが、とても嬉しいです。
他には、中国の友達と新曲を制作中です。11月にはワシントンDCのイベントにオンラインで出演します。アフリカ系アメリカンの音楽とコラボするのは初めてで、とても楽しみです。
最近は、パンダの動画にはまっています。パンダは、寝たり起きたり、竹や笹を食べたり、登ったり落ちたりして過ごしています。感情が高ぶると、でんぐり返しをします。パンダの様子を見ていると、気持ちがなごみます。
パンダはもともと肉食でしたが、エサをめぐる競争から脱落して、大量に生えている竹を食べるようになったそうです。争いを避けるには、そのような生き方もあるのだなと思います。
パンダについては、2020年のアジア人差別のニュースを読んでいたとき、”DESTORY RACISM:BE LIKE A PANDA. HE’S BLACK, HE’S WHITE, HE’S ASIAN” というキャッチコピーを知って、面白いなと思っていました。パンダの生態を知って、そのキャッチコピーを読むと、さらに面白く思います。
いつか、中国の成都パンダ基地に行ってみたいです。感染症の心配なく、世界のどこでも気軽に行かれる日々が戻ってきますように!
いんやく りお

Thank you for birthday message. I had a lot going on in my life this past year. I didn't have the energy to create music, but I'm finally feeling better now. These days, happy encounters and reunions continue.
In September, my Indonesian friends will come to Okinawa, and we are going to have a collaboration stage. I've been in touch with them online for 3 years. I am very happy to finally meet them face to face.
Other than that, I am working on a new song with my friend in China. Furthermore, I will be appearing online at an event in Washington DC in November. It's my first time collaborating with African American music, and I'm really looking forward to it.
Lately, I've been obsessed with panda videos. Pandas spend their time sleeping and waking, eating bamboo, climbing and falling. When they get emotional, they flip over. Looking at the pandas makes me feel relaxed.
Pandas were originally carnivorous, but they dropped out of the competition for food and began to eat the bamboo that grows in large quantities. I think they know the way to avoid conflict.
Regarding pandas, when I read the online news about discrimination against Asians in 2020, I also read the catch phrase "DESTORY RACISM: BE LIKE A PANDA. HE'S BLACK, HE'S WHITE, HE'S ASIAN", which left an impression on me. And I find it more interesting when I learned about panda's ecology.
Someday, I would like to visit the Chengdu Panda Base in China. I hope that the days will return, when we can go anywhere in the world without worrying about infectious diseases.
Rio Inyaku