2023年11月29日
平敷屋朝敏に感謝するつどい 11/26
「平敷屋朝敏を語る会」のお誘いで、第2回「平敷屋朝敏に感謝するつどい」に参加しました。ぼくは缶から三線で「ひやみかち節」を演奏しました。
いただいた資料によると、朝敏は1700年に生まれました。1718年、玉城朝薫の江戸立ちに参加しており、組踊「手水の縁」の作者として知られています。朝敏は1727年から1年ほど平敷屋村に滞在し、タキノークムイ(心字池)を造って、村の水不足を解消しました。朝敏の作品「貧家記」には、領民の生活が和歌とともに描写され、領民へのあたたかい眼差しが見られます。
朝敏は、1734年、友寄親方安乗などと王府を批判した無記名文書を投じたとされ、15人が安謝で処刑されました。安乗と朝敏は八付、その他は斬首という、琉球史に例を見ない厳罰でしたが、王府の歴史書には記録がなく、資料も残されておらず、事件の真相は現在でも不明だそうです。
琉球史については、わかっていないことがたくさんあります。それでも、言い伝えなどを掘り起こして、朝敏の名誉回復に努力する人がいるのは、すごいことだと思いました。
いただいた資料によると、朝敏は1700年に生まれました。1718年、玉城朝薫の江戸立ちに参加しており、組踊「手水の縁」の作者として知られています。朝敏は1727年から1年ほど平敷屋村に滞在し、タキノークムイ(心字池)を造って、村の水不足を解消しました。朝敏の作品「貧家記」には、領民の生活が和歌とともに描写され、領民へのあたたかい眼差しが見られます。
朝敏は、1734年、友寄親方安乗などと王府を批判した無記名文書を投じたとされ、15人が安謝で処刑されました。安乗と朝敏は八付、その他は斬首という、琉球史に例を見ない厳罰でしたが、王府の歴史書には記録がなく、資料も残されておらず、事件の真相は現在でも不明だそうです。
琉球史については、わかっていないことがたくさんあります。それでも、言い伝えなどを掘り起こして、朝敏の名誉回復に努力する人がいるのは、すごいことだと思いました。
いんやく りお(タキノー・平敷屋公園内/うるま市)
Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 21:20│Comments(0)
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