2024年09月29日
ジャカルタ(2)9/11-9/15
ジャカルタ観光(1)の続き。
タマン・ミニに行きました。インドネシアの島々の暮らしをミニチュアにして、一箇所に集めたテーマパークです。エントランスには、たくさんのガルーダがいました! ゴーカートを借りましたが、回りきれないほど広かったです。

インドネシアは、18,000の島々からなり、たくさんの民族が暮らしています。インドネシア語のほか、500以上の言語が話されています。パビリオンは、それぞれとても美しく、個性的で、インドネシアが多様性の宝庫ということを実感しました。







バリ島のパビリオンでは、ケチャをしていました。


タマン・ミニでは、インドネシア音楽のBGMがかかっていました。音階が同じなので、一瞬、沖縄民謡かと思いました。ジャカルタには、沖縄を思い出すものがたくさんありました。ジャカルタで最も歴史のあるショッピングセンターの、バティックのシャツ売り場では、那覇の「デパートりうぼう」のかりゆしコーナーのようでした。
スマトラ料理のレストランに連れて行ってもらいました。テーブルの上に、たくさんのお皿が並んで、好きなものを食べるスタイルです。ジャワ料理が甘い味つけなのに対して、スマトラ料理は辛いそうです。どちらも、すごく美味しかったです!

フィナーレで演奏する、Jakarta-Japan Matsuri 2024 のテーマ曲のリハーサルに参加しました。ジャカルタで活動するバンド(日本とインドネシアの人の混合バンド)、ジャカルタのよさこいサークルのメンバー、シンガポールから参加する日本のアーティストと一緒でした。貴重な経験を、ありがとうございました。

9月13日は、Old Shanghai City の月餅祭で、うーまくーの演舞を鑑賞しました。
14日, 15日は、Jakarta-Japan Matsuri 2024 に参加して、最高にすばらしい思い出になりました。
ジャカルタを離れるときは、たくさんの差し入れと、たくさんのお土産をいただきました。(写真に撮りそびれたものもたくさんあります、ごめんなさい)

ガルーダと一緒に、シンガポールでトランジットして、沖縄に帰りました。

朝起きて、ここがジャカルタでないことに気づいて、涙があふれることがあります。近いうちに、またインドネシアに行きたいです。
SAYA SUKA U-MAKU!
SAYA SUKA JAKARTA!
Terima kasih!
SAYA SUKA JAKARTA!
Terima kasih!
いんやく りお
2024年09月28日
ジャカルタ(1)9/11-9/15
初めてのインドネシアの旅です。「うーまくーエイサーしんかインドネシア」のPepenとHetiが、ジャカルタを案内してくれました。Terima kasih!
旧市街は、オランダ統治の影響が残っています。熱帯のジャカルタに、ヨーロッパ風の建物がそびえています。





旧市街は、オランダ統治の影響が残っています。熱帯のジャカルタに、ヨーロッパ風の建物がそびえています。

カフェ・バタビア。

チャイナタウンを散歩しました。ジャカルタのチャイナタウン(グロドック地区)は、世界最大のチャイナタウンの一つです。いくつかの寺院にお参りしました。祭壇は、仏教・ヒンズー教・道教・儒教が融合していました。

チャイナタウンを散歩しました。ジャカルタのチャイナタウン(グロドック地区)は、世界最大のチャイナタウンの一つです。いくつかの寺院にお参りしました。祭壇は、仏教・ヒンズー教・道教・儒教が融合していました。

仏像とガネーシャが同時に祀られています。

ジャカルタのモスクは、東南アジア最大です。ジャカルタでは、祈りの時間になると、街にコーランが流れました。ホテルの駐車場にも祈りのスペースがありました。

モスクの隣には、カテドラルがそびえています。ぼくのジャカルタ訪問の少し前に、ローマ法王が訪問していました。ジャカルタでは、モスクとカテドラルが、道を挟んで隣どおしに建っています。

カテドラルには、インドネシアの国章ガルーダ・パンチャシラがありました。ガルーダが掴む巻物には、古いジャワ語で「Bhinneka Tunggal lka」と書かれていて、「多様性の中の統一」という意味だそうです。

ジャカルタは交通渋滞で世界的に有名です。車のあいだをバイクがたくさん走っていて、4人乗りのバイクもありました! ジャカルタのあちこちを車で案内してもらったので、露店の様子も見えました。
ホテルのロビー。歴史あるホテルで、庭園もきれいでした。コンベンションセンターに直結する地下道があって、歴代の大統領の写真がずらりと並んでいるそうです。次の滞在では、ホテルの中もゆっくり見てみたいです。


見るもの全部が初めてで、感動の連続でした。ジャワ料理、とても美味しかったです!

モスクの隣には、カテドラルがそびえています。ぼくのジャカルタ訪問の少し前に、ローマ法王が訪問していました。ジャカルタでは、モスクとカテドラルが、道を挟んで隣どおしに建っています。

カテドラルには、インドネシアの国章ガルーダ・パンチャシラがありました。ガルーダが掴む巻物には、古いジャワ語で「Bhinneka Tunggal lka」と書かれていて、「多様性の中の統一」という意味だそうです。

ジャカルタは交通渋滞で世界的に有名です。車のあいだをバイクがたくさん走っていて、4人乗りのバイクもありました! ジャカルタのあちこちを車で案内してもらったので、露店の様子も見えました。
ホテルのロビー。歴史あるホテルで、庭園もきれいでした。コンベンションセンターに直結する地下道があって、歴代の大統領の写真がずらりと並んでいるそうです。次の滞在では、ホテルの中もゆっくり見てみたいです。


見るもの全部が初めてで、感動の連続でした。ジャワ料理、とても美味しかったです!


紅芋と黒糖のマフィン。沖縄の味でした! ゴーヤーチップスや、タンナファークルーにそっくりのお菓子もありました。

ジャカルタ観光(2)に続く
2024年09月27日
【Jakarta】Jakarta-Japan Matsuri 2024 2nd Day & Finale 9/15
インドネシア最大の日本フェス「Jakarta-Japan Matsuri」(来場25000人)に「うーまくーエイサーしんかインドネシア」と出演しました。ぼくの楽曲「ガルーダ琉球」で、会場のみんなが自然に踊り出し、コールがかかり、ぼくはステージの上で「ほんものの祭りが始まった」と思いました。
あまりの盛り上がりにアンコールがかかり、フィナーレでも「ガルーダ琉球」を歌いました。「琉球国は蓬莱島なり」の口説で、たくさんのインドネシアの人たちが踊っているのを見て、「ジャカルタ日本祭り」に沖縄の風が吹いていると感じました。
何人ものインドネシアの人たちに「きみの楽曲はインドネシアの魂を歌っている」と声をかけていただきました。とても幸せな時間でした。一生の思い出です。
9月14・15日、2つのステージとフィナーレに出演し、沖縄ブースにも飛び入り参加しました。リンクは9月15日のステージの一部です。会場の熱気を見ていただけたら嬉しいです。
いんやく りお (Plaza Parkir Timur, Jakarta, INDONESIA)
Saya tampil bersama Umaku Eisa Shinka Indonesia di Jakarta-Japan Matsuri (25.000 pengunjung), festival Jepang terbesar di Indonesia. Ketika saya membawakan lagu saya "Garuda Ryukyu", semua orang di tempat itu mulai menari dan berseru, dan saya berpikir di atas panggung, "Festival yang sesungguhnya telah dimulai."
Kegembiraan itu begitu besar hingga encore pun dipanggil, dan saya menyanyikan Garuda Ryukyu di bagian akhir. Ketika saya melihat begitu banyak orang Indonesia menari mengikuti lirik "Ryukyu adalah pulau surgawi," saya merasa bahwa angin Okinawa berhembus di Jakarta Japan Festival.
Banyak orang Indonesia berkata kepada saya, "Lagu Anda menyanyikan jiwa Indonesia." Itu adalah saat yang sangat membahagiakan. Itu adalah kenangan yang akan saya hargai selamanya.
Untuk penutup, saya berpartisipasi dalam sanshin dalam kolaborasi antara musisi Jepang yang tinggal di Jakarta dan musisi Indonesia, membawakan lagu tema untuk "Jakarta-Japan Matsuri 2024." Sangat menyenangkan! Terima kasih banyak.
Pada tanggal 14 dan 15 September, saya tampil di dua panggung dan di bagian akhir, dan juga mampir untuk berpartisipasi di stan Okinawa. Tautan mengarah ke bagian panggung pada tanggal 15 September. Meski hanya sebagian kecil saja, saya harap Anda dapat melihat kemeriahan di tempat tersebut.

あまりの盛り上がりにアンコールがかかり、フィナーレでも「ガルーダ琉球」を歌いました。「琉球国は蓬莱島なり」の口説で、たくさんのインドネシアの人たちが踊っているのを見て、「ジャカルタ日本祭り」に沖縄の風が吹いていると感じました。
何人ものインドネシアの人たちに「きみの楽曲はインドネシアの魂を歌っている」と声をかけていただきました。とても幸せな時間でした。一生の思い出です。
フィナーレでは、ジャカルタ在住の日本のミュージシャンと、インドネシアのミュージシャンとのコラボレーションで、「Jakarta-Japan Matsuri2024」テーマソングに、三線で参加しました。とても楽しかったです! ありがとうございました。
9月14・15日、2つのステージとフィナーレに出演し、沖縄ブースにも飛び入り参加しました。リンクは9月15日のステージの一部です。会場の熱気を見ていただけたら嬉しいです。
いんやく りお (Plaza Parkir Timur, Jakarta, INDONESIA)
Saya tampil bersama Umaku Eisa Shinka Indonesia di Jakarta-Japan Matsuri (25.000 pengunjung), festival Jepang terbesar di Indonesia. Ketika saya membawakan lagu saya "Garuda Ryukyu", semua orang di tempat itu mulai menari dan berseru, dan saya berpikir di atas panggung, "Festival yang sesungguhnya telah dimulai."
Kegembiraan itu begitu besar hingga encore pun dipanggil, dan saya menyanyikan Garuda Ryukyu di bagian akhir. Ketika saya melihat begitu banyak orang Indonesia menari mengikuti lirik "Ryukyu adalah pulau surgawi," saya merasa bahwa angin Okinawa berhembus di Jakarta Japan Festival.
Banyak orang Indonesia berkata kepada saya, "Lagu Anda menyanyikan jiwa Indonesia." Itu adalah saat yang sangat membahagiakan. Itu adalah kenangan yang akan saya hargai selamanya.
Untuk penutup, saya berpartisipasi dalam sanshin dalam kolaborasi antara musisi Jepang yang tinggal di Jakarta dan musisi Indonesia, membawakan lagu tema untuk "Jakarta-Japan Matsuri 2024." Sangat menyenangkan! Terima kasih banyak.
Pada tanggal 14 dan 15 September, saya tampil di dua panggung dan di bagian akhir, dan juga mampir untuk berpartisipasi di stan Okinawa. Tautan mengarah ke bagian panggung pada tanggal 15 September. Meski hanya sebagian kecil saja, saya harap Anda dapat melihat kemeriahan di tempat tersebut.
Rio Inyaku (Plaza Parkir Timur, Jakarta, INDONESIA)

2024年09月26日
【Jakarta】Jakarta-Japan Matsuri 2024 1st Day & 沖縄ブース 9/14
インドネシア最大の日本フェス「Jakarta-Japan Matsuri 2024」(来場25000人)の1st Day, 2nd Day, Finale に、「うーまくーエイサーしんかインドネシア」と出演しました。一生の思い出です。
「Jakarta-Japan Matsuri 2024」 初日のステージ。





障害ある人たちとのコラボ・ステージもありました。「うーまくーエイサーしんかインドネシア」のコンセプトは、世界のみんなと楽しく踊ることです。うーまくーのコンセプトに、ぼくは心から共感します。

後ろはぼくが泊まっていた、スルタン・ホテル。

沖縄ブースでは、沖縄ポップスに合わせて、「うーまくーエイサーしんかインドネシア」キッズ・メンバーの演舞がありました。たくさんの人が足をとめて、演舞を見ていました。ぼくも飛び入り参加しました。楽しかったです。

2024年08月25日
23歳になりました
誕生日メッセージありがとうございました。23歳になりました。誕生日はウークイ(旧盆の送り日)だったので、勝連の平敷屋青年会の奉納エイサーを見学しに行きました。チョンダラーの存在感をはじめ、演舞が創り出す世界観がすばらしく、感動しました。
勝連では屋慶名青年会の道じゅねーも見てから、沖縄市に行き、東青年会の道じゅねーと、山里青年会の道じゅねーを追いかけました。地謡のスピーカーから流れる、ひずんだ三線の音と太鼓の音は、道じゅねーにしかない臨場感です。沖縄で暮らせて、幸せです。
いま、とても楽しみにしているのは、インドネシアの日本フェスティバル出演です。


Thank you for the birthday messages. I turned 23. This year, my birthday was on the last day of Obon in the lunar calendar, so I went to see the dedicated Eisa of Heshikiya seinenkai in Katsuren. I was moved by the presence of chondara and the wonderful world view created by the performance.
After seeing the eisa performance of Yakena seinenkai on the street, I went to Okinawa City and followed the eisa performance of Higashi seinenkai and Yamazato seinenkai on the street. The distorted sound of the sanshin and the taiko drums coming from the speakers can only be enjoyed on the street. I am happy to live in Okinawa.
Well, I have a great news to anounce: my first appearance on stage in Jakarta!
JAK-JAPAN MATSURI 2024
14-15 September
My original song "Garuda Ryukyu" connected me to Indonesia.
Let's take off on Garuda
Fly high across the equator to the future
It's been a while since I've been overseas since the Across America Tour 2018, and I'm very excited. I will be so happy to see all friends of U-maku Eisa Shinka Indonesia!
Rio Inyaku
勝連では屋慶名青年会の道じゅねーも見てから、沖縄市に行き、東青年会の道じゅねーと、山里青年会の道じゅねーを追いかけました。地謡のスピーカーから流れる、ひずんだ三線の音と太鼓の音は、道じゅねーにしかない臨場感です。沖縄で暮らせて、幸せです。
いま、とても楽しみにしているのは、インドネシアの日本フェスティバル出演です。
9月14-15日
Parkir Timur Gelora Bung Karno Jakarta

ぼくのオリジナル曲「ガルーダ琉球」が、インドネシアとぼくをつないでくれました。
ガルーダに乗って飛び立つ
赤道を越えて未来へ
久しぶりの海外で、とてもわくわくしています。U-maku Eisa Shinka Indonesiaのみんな、どうぞよろしく!
いんやく りお

Thank you for the birthday messages. I turned 23. This year, my birthday was on the last day of Obon in the lunar calendar, so I went to see the dedicated Eisa of Heshikiya seinenkai in Katsuren. I was moved by the presence of chondara and the wonderful world view created by the performance.
After seeing the eisa performance of Yakena seinenkai on the street, I went to Okinawa City and followed the eisa performance of Higashi seinenkai and Yamazato seinenkai on the street. The distorted sound of the sanshin and the taiko drums coming from the speakers can only be enjoyed on the street. I am happy to live in Okinawa.
Well, I have a great news to anounce: my first appearance on stage in Jakarta!
JAK-JAPAN MATSURI 2024
14-15 September
Parkir Timur Gelora Bung Karno Jakarta
My original song "Garuda Ryukyu" connected me to Indonesia.
Let's take off on Garuda
Fly high across the equator to the future
It's been a while since I've been overseas since the Across America Tour 2018, and I'm very excited. I will be so happy to see all friends of U-maku Eisa Shinka Indonesia!
Rio Inyaku
2024年07月06日
波照間島 6/24-6/25

ニシ浜の波照間ブルーは、とてもきれいでした。

波照間空港。19人乗り(乗客15人)の小さな飛行機で、石垣空港まで飛ぶそうです。

最南端の岬には、石碑が三つあります。「波照間の碑」は、蛇が2匹からみあい、全都道府県から運んできた石を抱きかかえるデザインになっていました。これは、波照間島が二度と、日本から切り離されないように、という意味だそうです。石が積んであるところが、蛇です。

星空観察に行きました。満天の星空で、南十字星が見えました。天の川もくっきり見えました。八重山の歌に「てぃんがーら(天の川)」や星が歌われるのは、このような夜空の下で暮らしてきたからなのだと、感動しました。

月が上がると空は明るくなって、海にムーンロードが浮かびました。「月ぬかいしゃ」を思い出しました。暗闇を照らす月を、ありがたく、神々しく感じる気持ちがわかりました。


波照間小学校の塀には、「星になった子どもたち」の歌詞が書かれていました。波照間島には、西表島に向かって、子どもたちの慰霊碑があります。





波照間空港。19人乗り(乗客15人)の小さな飛行機で、石垣空港まで飛ぶそうです。


星空観察に行きました。満天の星空で、南十字星が見えました。天の川もくっきり見えました。八重山の歌に「てぃんがーら(天の川)」や星が歌われるのは、このような夜空の下で暮らしてきたからなのだと、感動しました。

月が上がると空は明るくなって、海にムーンロードが浮かびました。「月ぬかいしゃ」を思い出しました。暗闇を照らす月を、ありがたく、神々しく感じる気持ちがわかりました。

波照間島には、ヤギがたくさんいました。子ヤギは好奇心が強く、眺めているとすぐ寄ってきました。とても可愛かったです。

波照間小学校の塀には、「星になった子どもたち」の歌詞が書かれていました。波照間島には、西表島に向かって、子どもたちの慰霊碑があります。

そのとなりには、戦後の食糧難で島の人たちを救った、ソテツや動物たちへの感謝の碑もありました。

「泡波」は生産量が少なく、幻の泡盛といわれています。島の売店にはたくさんあったので、お土産にしました。

自然の美しさと、厳しさと、国境と、戦争の記憶に出会う旅でした。帰りのフェリーでは、波しぶきの向こうに何度も虹がかかりました。西表島、新城島、黒島、小浜島、竹富島を眺めながら、石垣島に帰りました。

那覇に帰る飛行機では、多良間島、下地島、伊良部島、宮古島、池間島が、きれいに見えました。

慶良間諸島が見えると、もうすぐ沖縄島です。

青い海に島々がつらなるのを見ることができて、夢のような旅でした。島は生きていると感じました。
いんやく りお
2024年07月06日
【石垣島】慰霊の日の集い 6/23
慰霊の日は、山里節子さんに会いに、石垣島を訪れました。戦争マラリアの慰霊碑で祈り、公民館での集いに参加しました。八重山の古謡、踊り、宮古の古謡などがありました。ぼくは「上り口説」をベースにした「WORLD PEACE口説」を歌いました。

慰霊の日は、ご遺族のためにあるとぼくは思います。ぼくは沖縄戦の遺族でないのに、どのように関わったらいいのか、いつも考えます。節子さんにそう言ったら、「もう身内のようなもの」と言ってくれて、「まるざー」について教えてくれました。
「まるざー」とは、みんなが円になり、だれが上とか下というのではなく、それぞれが歌や芸を披露して、楽しむ場のことだそうです。その精神を引き継いで、「慰霊の日」の集いでは、ステージを使わず、みんなで円になって、だれもが歌いました。
節子さんに会うたびに、歌は誰のものだろう? 誰が誰のために歌うのだろう?と、気持ちがしんとします。石垣島がいつまでも平和で、みんなで歌い続けることができることを、祈っています。

慰霊の日は、ご遺族のためにあるとぼくは思います。ぼくは沖縄戦の遺族でないのに、どのように関わったらいいのか、いつも考えます。節子さんにそう言ったら、「もう身内のようなもの」と言ってくれて、「まるざー」について教えてくれました。
「まるざー」とは、みんなが円になり、だれが上とか下というのではなく、それぞれが歌や芸を披露して、楽しむ場のことだそうです。その精神を引き継いで、「慰霊の日」の集いでは、ステージを使わず、みんなで円になって、だれもが歌いました。
節子さんに会うたびに、歌は誰のものだろう? 誰が誰のために歌うのだろう?と、気持ちがしんとします。石垣島がいつまでも平和で、みんなで歌い続けることができることを、祈っています。
集いのあとは、波照間島に行きました。八重山諸島は、とても美しいところです。島々かいしゃ(島々は美しい)。
いんやく りお(名蔵公民館/石垣市)
2024年07月04日
RBC(琉球放送)ラジオ「MUSIC SHOWER Plus+」に出演しました 7/4
「MUSIC SHOWER Plus+」に出演しました。嘉大雅さん、くだかまりさんとのトーク、とても楽しかったです! どうもありがとうございました。
デザイナーの十場いちごさんと一緒に、「ファッションショー1+1」を告知させていただきました。「琉球の風〜沖縄祭りin高崎」もお知らせしました。BGMでは、中国の張健輝さんと共同制作した新曲「まばゆい雨」を流していただきました。


デザイナーの十場いちごさんと一緒に、「ファッションショー1+1」を告知させていただきました。「琉球の風〜沖縄祭りin高崎」もお知らせしました。BGMでは、中国の張健輝さんと共同制作した新曲「まばゆい雨」を流していただきました。

ぼくのCDのポスターを貼っていただいていて、とても嬉しかったです。ありがとうございます!

いんやく りお (RBC 琉球放送 ラジオスタジオ/那覇市)
2024年05月24日
「まばゆい雨 〜潇潇细雨〜」MUSIC VIDEO
中国の詩人 张健辉とのコラボ楽曲、第2作「まばゆい雨」ミュージックビデオを公開しました。 いんやく りお


「まばゆい雨」
心を 光に託すなら 六月の太陽よ
天高く照らし 時空 越えて 運べ 我が思い
まばゆい雨は 蒲葵を伝い 陽炎の向こうに
浮かぶ きみの面影に 唄を 奏でている
夢か 現か 幻か
常世 現世 隠り世 越えて
輪廻の螺旋は 回りゆく
永遠に煌めく 記憶となる
世界上最耀眼 闪亮的东西 总是让我很好奇
到底是那太阳 还是你的心 可是却没法看得清
天边的小雨 也在陪着我 走向有你的轨迹
假如认出了我 此去经年里 把故事都说给你听
有在悠哉 又再犹在 快到这边来
幽来悠来 又来游来 起起伏伏的人海
就像烟花 开满星空 一瞬的夏夜
回头望 却只剩下 记忆的尘烟
是谁停不下的泪流
淌在我的心上哟
(翻訳)
世にもまばゆく煌めくものは
いつも ぼくを魅了する
あの太陽か きみの心か
見分けるすべは ないけれど
天の細雨を 身にまとい
きみの軌跡を ぼくは追う
きみが ぼくを見分けたら
積年の物語を すべて語ろう
またもや悠久よ またなお悠然と
早く此岸に 渡り来い
幽明の水面を 悠々と また渡る
波打つ数多の 人影を越えて
星空を満たす 花火に似て
一瞬の夏の夜
振り向けば ただ
かすかな記憶が 煙るだけ
誰の瞳に 涙があふれる
ぼくの心に 雨の降る

‘‘Sparkling Drizzle’’ by Rio Inyaku and Zhang Jianhui; 2nd collaborative song. Sung in Japanese & Chinese. English subtitles available. Rio Inyaku

‘‘Sparkling Drizzle’’
The sun of June, I entrust my heart to your light
Shine high in the sky and carry my aspiration across time and space.
The dazzling rain falls down the palm trees
to play a song to your image that floats beyond the haze.
Is it a dream, reality, or illusion?
The spiral of reincarnation keeps turning
beyond the eternal world, this world, and the underworld
Our memories will shine forever.
I am always fascinated by shiny things.
But there's no way to tell if it's the sun or your heart.
With the light rain of heaven, I follow in your footsteps.
If you recognize me, I will tell you all the stories over the years.
Once again, forever, it still exists leisurely.
Hurry and come to this shore.
Swim gracefully across the water again
beyond many figures in the timeless world.
Like fireworks blooming in the starry sky,
on a fleeting summer night,
I turned around only to find a faint memory.
I wonder who is shedding tears
It is raining in my heart
2024年04月29日
North Asia Retreat -Welcome Night- 4/27
Global Shapers Community 2024 Okinawa hub が主催した North Asia Retreat のイベントで、演奏させていただきました。GSCは、世界経済フォーラムの関連組織で、多様なバックグラウンドを有する、30歳以下の若者によるコミュニティです。North Asia Retreat には、北京、上海、香港、台湾、韓国、モンゴル、日本各地から参加者がいました。

ぼくは「ミルクムナリ」「アリラン」「海的那边哟 〜遥かな友よ〜」を演奏しました。「ミルクムナリ」では沖縄の方たちが創作エイサーを踊ってくださり、「アリラン」では韓国のグループから、「海的那边哟 〜遥かな友よ〜」では中華圏の方たちから歓声が上がりました。たくさんの方がスマホのライトを掲げて、ペンライトのように振ってくれました。あたたかい会場で、感動しました。
歌詞のパンフレットをお渡ししたので、中華圏の方たちに「すばらしい詩だね」「中国語と日本語が混じっている曲は初めて聴いた」とお声かけいただき、口ずさんで下さった方もいました。
会場は、ぼくが大好きな福州園でした。中国・福州の景色が再現され、ライトアップされた東治堂の前でライブできたのは、本当に嬉しいことでした。


ぼくは「ミルクムナリ」「アリラン」「海的那边哟 〜遥かな友よ〜」を演奏しました。「ミルクムナリ」では沖縄の方たちが創作エイサーを踊ってくださり、「アリラン」では韓国のグループから、「海的那边哟 〜遥かな友よ〜」では中華圏の方たちから歓声が上がりました。たくさんの方がスマホのライトを掲げて、ペンライトのように振ってくれました。あたたかい会場で、感動しました。
歌詞のパンフレットをお渡ししたので、中華圏の方たちに「すばらしい詩だね」「中国語と日本語が混じっている曲は初めて聴いた」とお声かけいただき、口ずさんで下さった方もいました。
会場は、ぼくが大好きな福州園でした。中国・福州の景色が再現され、ライトアップされた東治堂の前でライブできたのは、本当に嬉しいことでした。

久米の旗頭の演舞もあり、すばらしかったです。仲嶺良盛さんの歌三線では、琉球国時代はこのように外国の賓客をもてなしていたのだろうなと思いました。スタッフの方たちは、すごいなと思いました。呼んでくださって、どうもありがとうございます。嬉しい出会いに感謝しています!
いんやく りお(福州園/那覇市)
タグ :国際イベント
2024年04月06日
琉球新報「ティータイム」に掲載されました 4/5
ぼくの投稿が琉球新報に掲載されました。弁財天堂での奉納演奏、とても楽しかったです。
山内昌也先生、ありがとうございました。ひなた、あおり、一緒に演奏してくれてありがとう!
いんやく りお
「先人の思いを継承したい」
この春、ぼくは沖縄県立芸術大学を卒業した。琉球芸能専攻は、世界で唯一県立芸大に設置された専攻で、ぼくはその一員となったことを誇りに思う。ぼくは持病があり、コロナ禍でかなり行動制限があった。山内昌也先生をはじめ、先生がたに温かいご配慮をいただき、学友に親切にしてもらって、感謝の言葉が追いつかない。
卒業を記念して、山内昌也先生のご手配で、ぼくは首里城公園の弁財天堂で学友と奉納演奏させていただいた。弁財天堂は、朝鮮から贈られた高麗版大蔵経を納めるために建立された。弁財天堂を囲む円鑑池は湧水と雨水によって城域一帯をつなぎ、天女橋は中国の駝背橋の様式で、アジアの架け橋を思わせる。隣接する県立芸大のように、弁財天堂も琉球の美学を受け継ぐ場として、折にふれて琉球古典音楽が流れてほしい。
琉球古典音楽は、琉球国時代の時空を呼び覚まし、過去と現在を交流させるタイムカプセルだと思う。4年前、ぼくは県立芸大入試の実技試験で不思議な体験をした。最初の一音を弾いたとたん、フィルムのようなものが2本、ぼくの周りを回るイメージが浮かび、琉球国時代から戦後までの人々の姿が映し出されたのだ。大学入学後、ぼくは県立芸大の音楽棟のあたりにはかつて高所勘定座があり、御冠船踊りの稽古がおこなわれていたと知った。
歌三線だからこそ湧き出る、先人の思いがある。琉球国の人々は芸能を外交に生かし、豊かさと平和を築こうとした。ぼくは県立芸大での学びを活かし、微力でも先人の思いを継承したい。
山内昌也先生、ありがとうございました。ひなた、あおり、一緒に演奏してくれてありがとう!
いんやく りお
「先人の思いを継承したい」
この春、ぼくは沖縄県立芸術大学を卒業した。琉球芸能専攻は、世界で唯一県立芸大に設置された専攻で、ぼくはその一員となったことを誇りに思う。ぼくは持病があり、コロナ禍でかなり行動制限があった。山内昌也先生をはじめ、先生がたに温かいご配慮をいただき、学友に親切にしてもらって、感謝の言葉が追いつかない。
卒業を記念して、山内昌也先生のご手配で、ぼくは首里城公園の弁財天堂で学友と奉納演奏させていただいた。弁財天堂は、朝鮮から贈られた高麗版大蔵経を納めるために建立された。弁財天堂を囲む円鑑池は湧水と雨水によって城域一帯をつなぎ、天女橋は中国の駝背橋の様式で、アジアの架け橋を思わせる。隣接する県立芸大のように、弁財天堂も琉球の美学を受け継ぐ場として、折にふれて琉球古典音楽が流れてほしい。
琉球古典音楽は、琉球国時代の時空を呼び覚まし、過去と現在を交流させるタイムカプセルだと思う。4年前、ぼくは県立芸大入試の実技試験で不思議な体験をした。最初の一音を弾いたとたん、フィルムのようなものが2本、ぼくの周りを回るイメージが浮かび、琉球国時代から戦後までの人々の姿が映し出されたのだ。大学入学後、ぼくは県立芸大の音楽棟のあたりにはかつて高所勘定座があり、御冠船踊りの稽古がおこなわれていたと知った。
歌三線だからこそ湧き出る、先人の思いがある。琉球国の人々は芸能を外交に生かし、豊かさと平和を築こうとした。ぼくは県立芸大での学びを活かし、微力でも先人の思いを継承したい。

2024年03月26日
弁財天堂で奉納演奏しました 3/25
卒業公演として、弁財天堂で琉球古典音楽を奉納演奏しました。すばらしい機会を作ってくださった山内昌也先生、ありがとうございます。あおり、ひなた、どうもありがとう!


弁財天堂は、朝鮮から贈られた大蔵経を納めるために建てられました。アジアとのつながりを感じられるので、大好きな場所です。そのような場所で演奏できて、とても嬉しかったです。

弁財天堂がこれからも琉球古典音楽が流れ、世界の架け橋となる場所であってほしいと思いました。ありがとうございました。

弁財天堂がこれからも琉球古典音楽が流れ、世界の架け橋となる場所であってほしいと思いました。ありがとうございました。

いんやく りお (弁財天堂/那覇市)

2024年03月23日
山里節子さん 島袋文子さんと語る会 3/23
「戦雲」(三上智恵監督)の公開記念に、石垣島から山里節子さん、辺野古から島袋文子さんが招かれて、「語る会」が開かれました。
ぼくは節子さんに招待されて、試写会に行きました。ぼくが初めて石垣島を訪れたのは6年前で、それから石垣島の姿は少しずつ変わっています。「戦雲」は、八重山群島、宮古諸島の現状を伝えています。それぞれの島に、人々が守りたい大切な暮らしがあります。
ぼくは節子さんの古謡を聴きに行ったのですが、その後、成り行きでぼくも歌うことになり、とんでもないことになったと思いました。節子さんや皆さんと同じ時間を過ごせたことに、感謝しています。ありがとうございました。

いんやく りお (ゆかるひ/那覇市)
ぼくは節子さんに招待されて、試写会に行きました。ぼくが初めて石垣島を訪れたのは6年前で、それから石垣島の姿は少しずつ変わっています。「戦雲」は、八重山群島、宮古諸島の現状を伝えています。それぞれの島に、人々が守りたい大切な暮らしがあります。
ぼくは節子さんの古謡を聴きに行ったのですが、その後、成り行きでぼくも歌うことになり、とんでもないことになったと思いました。節子さんや皆さんと同じ時間を過ごせたことに、感謝しています。ありがとうございました。

いんやく りお (ゆかるひ/那覇市)
2024年03月23日
レコーディング(嘉陽田朝裕さん、又吉佑衣さん)3/23
嘉陽田朝裕さん作詞作曲の楽曲の音源制作を担当しました。




又吉佑衣さんのボーカルで、レコーディングにも関わらせていただきました。

とても楽しかったです。ありがとうございました!

いんやく りお (りおスタジオ/那覇市)
5年前の同じ日は、平田大一さんとレコーディングしていました。まだ高校生で、1st CDに収録したカバー曲「ダイナミック琉球」のレコーディングでした。偶然で、びっくりです。

2024年03月20日
沖縄県立芸術大学を卒業しました

在学中は、たくさんの先生がたにサポートしていただきました。山内昌也先生は、ぼくの人生の恩人です。琉球・沖縄の文化を学ぶことができたのは、かけがえのない体験でした。

同期のみんなとは、対面ではほとんど会えなかったけれど、優しく接してもらい、ありがたかったです。卒業式の後は、謝恩会、送別会に参加しました。ぼくにとって初めての飲み会でした。ものすごく楽しかったです! 琉球芸能専攻のすばらしい仲間の一員になれて、幸せです。

卒業後は、母の経営する法人の事務を学びながら、マイペースで音楽活動を続けていく予定です。これからもどうぞよろしくお願いします。
いんやく りお

I graduated from Okinawa Prefectural University of Arts!
It was a four-year period in which many things happened. As soon as I enrolled the university, I had to begin to self-restraint due to the coronavirus pandemic. My student life was different than I had originally expected, but at the same time, I was blessed with many encounters that I had never imagined.
During my student life, I was greatly indebted to many teachers. First of all, I would like to express my deep gratitude to Professor Masaya Yamauchi. It was a valuable experience to learn about the culture and spirit of Ryukyu/Okinawa.
Although I could hardly meet my classmates in person, I am grateful that they were so kind to me. After the graduation ceremony, I attended the thank-you party and farewell party. It was my first drinking party and so much fun! I'm very happy and honored to be a member of Ryukyuan Performing Arts major.
It was a four-year period in which many things happened. As soon as I enrolled the university, I had to begin to self-restraint due to the coronavirus pandemic. My student life was different than I had originally expected, but at the same time, I was blessed with many encounters that I had never imagined.
During my student life, I was greatly indebted to many teachers. First of all, I would like to express my deep gratitude to Professor Masaya Yamauchi. It was a valuable experience to learn about the culture and spirit of Ryukyu/Okinawa.
Although I could hardly meet my classmates in person, I am grateful that they were so kind to me. After the graduation ceremony, I attended the thank-you party and farewell party. It was my first drinking party and so much fun! I'm very happy and honored to be a member of Ryukyuan Performing Arts major.
After graduation, I plan to continue my music career at my own pace while learning about management duties for the corporation my mother runs. Thank you for your continued support.
Rio Inyaku

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