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2025年03月24日

世界の創作エイサーパフォーマンス 2/26

 「うーまくエイサーしんかインドネシア」と「青龍エイサー会ペルー」の皆さんと、琉球村で創作エイサー・パフォーマンスをしました。


 「うーまくー」はメンバー全員インドネシア人です。ペルーは沖縄からの移民が多い国ですが、「青龍」には、沖縄系でないメンバーもいます。バックグラウンドがさまざまなメンバーと、一つのステージで踊るのは、とても楽しかったです。



 「うーまくー」の獅子、サロンも登場しました。サロンは、沖縄の獅子頭と、バリ島の獅子の聖獣Barongをミックスしたもので、「うーまくー」メンバーの手作りです。細部まで凝っていて、とてもきれいです。


 ステージを一緒に作って下さった皆さん、ありがとうございました。

いんやく りお(琉球村 沖縄の駅ちゃんぷるー劇場/恩納村)


 I performed a creative eisa performance in Ryukyu Mura with members of "Umaku Eisa Shinka Indonesia" and "Seiryu Eisa Kai Peru".

 All of the members of Umaku are Indonesian. Peru is a country with many immigrants from Okinawa, but some members of Seiryu are not of Okinawan descent. It was a lot of fun to dance on the same stage with members of such diverse backgrounds.

 Umaku's shishi named Sarong also appeared. Sarong is a mix of an Okinawan shishimai and a Barong, the sacred lion of Bali, and was handmade by the member of Umaku. It is elaborately made down to the smallest detail and is very beautiful.

 Thank you to everyone who created the stage with us all.

Rio Inyaku




  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 11:55Comments(0)ライブレポート国際イベント

2025年03月22日

辺野古と平和祈念公園 3/19, 3/20

 4年前ジョージタウン大学のオンラインイベントに一緒に参加したSeanくんと、辺野古ゲート前で座り込みをしました。Seanくんは、オンラインで現場の様子をアメリカにつなぎ、アメリカの学生さんたちのvirtual sit-in もありました。

 I did a sit-in in front of the Henoko gate with Sean, who got to know four years ago at an online event at Georgetown University. Sean shared the situation at the site with the US online, and there was also a virtual sit-in with American students.


 ぼくは辺野古に行くのは久しぶりで、次から次へとトラックが工事現場に入っていくのを見て、涙が出ました。まさか自分が泣くとは思いませんでした。それでも、現場の人たちと話したり歌ったりして、希望をもらいました。

 It had been a long time since I last went to Henoko, and something I have never imagined that tears came to my eyes when I saw trucks entering the construction site one after another. Still, talking and singing with the people at the site gave me hope.


 次の日は、Seanくんと平和祈念公園にお参りに行きました。平和の礎には、沖縄の人たちだけでなく、県外、台湾、朝鮮半島、イギリス、アメリカの人たちの名前が刻まれています。ぼくは、「殺してはならぬ、殺させてはならぬ」という浄土真宗のことばを思い出しました。

 The next day, Sean and I went to pray at the Peace Memorial Park. The Cornerstone of Peace has the names of not only Okinawans, but also people from outside Okinawa, Taiwan, North and South Korea, the UK, and the US engraved on it. I remembered the words of Shin Buddhism, "Thou shalt not kill, and shalt not let others kill."


 ひめゆり平和祈念資料館に行きました。穏やかな学校生活は、戦争によって突然奪われました。陸軍病院での活動は過酷で、命がけで南部に撤退し、そして激戦地で突然の解散命令が出ました。「鎮魂の空間」には、亡くなった方たちの写真が掲げられていました。写真さえ残っていない方たちもいて、胸がつまりました。

 We went to the Himeyuri Peace Memorial Museum. Their peaceful school life was suddenly taken away by the war. Working at the army hospital was cruel, and they risked their lives to retreat to the south, and then suddenly received the order to disband in the middle of a fierce battlefield. There were photos of those who died. It was heartbreaking to know that some people don't even have photos left.



 糸満には、魂魄の塔など、たくさんの慰霊碑があります。名前もわからないまま埋葬された方、お参りする子孫もない方、そして、埋葬されないまま土に還ったお骨もあります。やるせない気持ちでいっぱいです。

 In Itoman, there are many memorial monuments, such as the Tower of Souls. There are those who were buried without knowing their names, those who have no descendants to pray for them, and bones that were returned to the earth without being buried. It's a very sad feeling.



 Seanくんに沖縄の美しいところも見てもらいたくて、築130年の沖縄そば屋さんに行きました。柱に弾痕がありますが、沖縄戦を生き延びた古民家です。おそばは美味しかったし、赤瓦とシーサーがとてもきれいです。

 I wanted Sean to see the beautiful parts of Okinawa, so we went to a 130-year-old Okinawa soba restaurant. There are bullet holes in the pillars, but it is survived the Battle of Okinawa. Their Okinawa soba was delicious, and the red roof tiles and shisa were very beautiful.



 斎場御嶽にお参りしました。世界遺産に登録されて観光客が増え、環境保護のため、三庫理は立入禁止になっていました。祈りの場をまもることは、大切だと思います。

 We visited Sefa Utaki. Since it was registered as a World Heritage Site, the number of tourists has increased, and Sangui, the sacred space has been closed to the public to protect the environment. I think it is important to protect places of prayer.


 沖縄が平和でありますように。
 アジアが平和でありますように。
 世界が平和でありますように。

 May Okinawa be peaceful.
 May there be peace in Asia.
 May there be peace in the world.

いんやく りお / Rio Inyaku

  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 13:51Comments(0)出会い

2025年03月16日

世界エイサーシップ2025 〜World Festival〜 2/23

 「うーまくーエイサーしんかインドネシア」と共演しました。リハーサルがキャンセルになったり、音響のトラブルがあったりしましたが、ハプニング込みでステージは楽しかったです。関係者の皆さま、お疲れさまでした。



 「うーまくー」は、インドネシアver.の「ミルクムナリ」を沖縄で初めて演舞しました。「ミルクムナリ」の詞章を提供したのは、平田大一さんです。平田さんはインドネシアのバリ島で人々と交流したのがきっかけで、生まれ島の芸能のすばらしさに気づいたそうです。そして、インドネシアから帰るときにビジョンを見て、「ミルクムナリ」の詞章を提供することを決めたそうです。

 「ミルクムナリ」は、創作エイサーが広がる、大きなきっかけになりました。「うーまくー」はメンバー全員インドネシア人で、23年前の結成のとき、最初に練習したのは「ミルクムナリ」でした。ぼくが平田さんのエピソードを話したら、「うーまくー」は感激して、「ミルクムナリ」をインドネシアver.の振付で踊ることになりました。



 ぼくは、平田さんの世界観と、平田さんが作り出す舞台がとても好きです。創作でも「エイサー」と呼ぶからには、沖縄の歴史によって育まれた、核となる世界観を大切にしたいです。これからの活動について、あらためて考える機会になったのはよかったです。ありがとうございました。

いんやく りお(糸満市観光文化交流拠点施設 シャボン玉石けん くくる糸満/糸満市)


 I performed together with "Umaku Eisa Shinka Indonesia". Although the rehearsal was cancelled and there was some sound problems, the stage was fun even with all the mishaps. Thanks to everyone involved for this event.



 Umaku performed the Indonesian version of "Milk Munari" for the first time in Okinawa. Daiichi Hirata, who offered the lyrics for "Milk Munari", noticed the wonderfulness of the performing arts of his native island after interacting with people of Bali. Then, when he returned from Indonesia, he had a vision and decided to offer the lyrics for "Milk Munari".

 "Milk Munari" was a big catalyst for the spread of creative eisa. All members of Umaku are Indonesian, and when Umaku formed 23 years ago, the first dance they practiced was "Milk Munari". When I told them the episode of Hirata san, Umaku was so moved that they decided to dance "Milk Munari" with the Indonesian version of the choreography.



 I really respect Hirata san's worldview and the stage performances he creates. If we call our performance "creative eisa," I want to cherish the core of the worldview which is nurtured by Okinawan history. It was good to have the opportunity to think anew about my future activities. Thank you very much.

Rio Inyaku



  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 16:44Comments(0)ライブレポート国際イベント

2025年02月16日

石嶺公民館まつり 2/15

 地元のおまつりに出演しました。ありがとうございました!

 2月23日「世界エイサーシップ」(くくる糸満)と、26日「世界の創作エイサー」(琉球村)の案内もさせていただきました。次のステージでは、「うーまくーエイサーしんかインドネシア」のみんなと一緒なのが、とても楽しみです。



いんやく りお(石嶺公民館/那覇市)




  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 16:40Comments(0)ライブレポート

2024年12月01日

石嶺音楽祭 11/30

 首里石嶺町の音楽祭に出演しました。地元の人たちのボランティアによる音楽祭です。



 小学校のときの三線クラブの先生や、同級生、なつかしい方たちに再会して、とても嬉しかったです。

 石嶺の名店「ピッコロモンド」の香織さん、お声かけ、どうもありがとうございました。

いんやく りお(石嶺公民館/那覇市)

  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 20:39Comments(0)ライブレポート

2024年11月06日

【高雄/台湾】沖繩音樂:海島與音符 11/1

 台湾で沖縄ポップ音楽のライブをしました。高雄在住のミュージシャン Paul Stuka さんのギター・サポートと通訳で、とても楽しい会になりました。

 沖縄音楽のファンで、三線サークルの皆さんもいらっしゃり、「イーヤーサーサー!」と掛け声がかかりました。高雄で人気の「今天喝酒了」も歌い、盛り上がりました。



 交流会では、沖縄と台湾の状況についても、お話しできました。あたたかいメッセージをいただいたこと、宝物にします。台湾、沖縄、その先の日本と、ひとつながりの島どうし、これからずっと、幸せな関係でいたいですね、と話しました。また台湾か沖縄で、皆さんとお会いすることを約束しました。ライブをアレンジしてくれたPaul Stuka さん、多謝!

 初めての台湾旅行、とても楽しかったです。近いうちに、また台湾に行きたいです。太感謝了!

いんやく りお(Sultan, 高雄市, 台湾)



 我在台灣表演了沖繩流行音樂音樂會。在高雄音樂家 Paul Stuka 的吉他和翻譯的支持下,我們非常享受這次活動。

 還有沖繩樂迷和三線俱樂部的成員,他們高喊“Iyaa sasaa!”我們也唱了高雄流行歌曲《今天喝酒了》,氣氛熱烈。

 交流會中我們也談到了沖繩和台灣的關係。我會珍惜他們溫暖的留言。我們談到希望台灣、沖繩和日本這些近鄰島嶼未來能繼續保持友誼。我們約定在台灣或沖繩再次見面。多謝Paul Stuka安排了這場音樂會!

 這是我第一次去台灣,感覺很棒。有很多驚喜。稍後我會寫我的旅行。我希望很快能再去台灣。太感謝了!

印鑰理生(Sultan, 高雄市, 台湾)

  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 23:18Comments(0)ライブレポート国際イベント海外でのイベント海外旅行

2024年11月05日

高雄(台湾) 10/30-11/3

 初めて台湾に行きました。高雄在住のミュージシャン Paul Stuka さんに、7年ぶりにお会いできて、一緒にライブできて、本当に楽しかったです。昼間はとても暑かったのと、台風で外出できない日もあって、計画通りの観光はできませんでしたが、見るものぜんぶ楽しかったです。

 美味しいものがたくさんありました。牛肉麵で有名な「三牛牛肉麵」は、地元の人で混雑していました。牛肉麵もサービスの惣菜も、美味しかったです。


 地元で人気のレストラン「鴨肉珍」で、アヒル料理をいただきました。美味しかったです。連れて行ってくれた Paulさん、多謝!


 六合夜市にも行きました。臭豆腐はすごい匂いがしましたが、食べると美味しかったです。


 台湾はパイナップルが名産なので、パイナップル珈琲、パイナップル・アイスクリーム、パイナップル・ケーキをいただきました。このカフェは孔子廟の中にあります。



 芸術特区のそばのホテルに泊まりました。芸術特区は、もともとは高雄港のそばの倉庫街で、倉庫をリノベーションして、ギャラリーやお店が入っています。インスタレーションや壁画があちこちにあります。



 後ろに「高雄流行音楽中心」が見えます。ポップミュージックに関するギャラリーやホールがあるそうです。


 高雄流行音楽中心は、夜のライトアップもきれいでした。この写真は横から撮影したのでよくわかりませんが、イルカがはねているようなデザインの建物で、高雄のシンボルでもあります。

 
 高雄には、ガジュマル、サトウキビジュース、石垣など、沖縄を思い出すものがたくさんありましたが、異文化だなと感じたのは、道教の寺院です。蓮池潭風景区には、たくさんの寺院が集まっていました。有名な龍虎塔は修復工事中ですが、虎と龍の中をくぐることはできました。壁には仏教の説話が描かれています。


 龍虎塔の向かいに、慈済宮があります。お医者さんが神様だそうです。


 啓明堂は、蓮池潭風景区で最大規模の廟です。歴史的な寺院なのに、真正面に電光掲示板のお知らせがあったのには、驚きました。何層にもなっていて、神像と神話で埋め尽くされています。台湾旅行の前に、高野山、熊野、伊勢、東本願寺にお参りしたのですが、世界観がまったく違いました。
 


 たくさんの神像の中で、この神さまがまばたきしたように見えました。近づいてみたら、南斗星君でした。ありがたいです。



 啓明堂の向かいには春秋御閣があって、龍と観音像がそびえています。龍の中も歩くことができ、仏教説話が描かれています。

 


 長い橋を渡って、五里亭で休憩しているところ。


 玄天上帝神像。


 白蛇が祀られていましたが、珊瑚で作られているように見えました。


 おみくじの自動販売機があって、コインを入れると人形が動いて、おみくじを持ってきてくれるのが面白かったです。下の写真も機械仕掛けで、鐘が鳴る仕組みのようでしたが、動かし方はよくわかりませんでした。

  

 蓮池潭風景区の孔子廟は、台湾最大だそうです。神像で埋め尽くされている道教の寺院とは、また別の雰囲気でした。



 本殿の中には神像ではなく、位牌が祀られていました。


 傘をかぶった赤い太鼓もありました。エイサーの大太鼓にそっくりです。


 三鳳宮は、赤い提灯が素晴らしかったです。 



 建物の中は何層にもなっていて、どの部屋にも、熱心に拝んでいる信者さんがいました。


 儒教の神様だけでなく、仏陀も祀られていました。


 市場ものぞいてみました。三鳳宮のそばの三民市場では、野菜、肉、服など、いろいろなものを売っていました。トサカのついた鶏肉が売られていました。


 三鳳中街。主に乾物を扱う市場です。お土産にお茶を買いました。


 打狗英国領事館官邸に行きました。台湾最古の洋風建築の一つだそうです。珊瑚の石畳を登った山の上にあって、高雄港と高雄の街を眺めることができます。



 打狗英国領事館官邸の隣には、道教寺院がありました。孔子廟で見たのと同じような、赤い太鼓がありました。


 帰りは高雄から高鉄に乗り、桃園空港から那覇に帰りました。高鉄は快適で、あっという間でした。


 台湾は近いので、また遊びに行きます。Paul Stuka さん、高雄の皆さん、多謝!

いんやく りお



  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 22:30Comments(0)海外旅行

2024年10月31日

京阪神と紀伊(5)京都 10/17-10/26

伊勢・志摩(4) から続く。

 祇園で湯豆腐をいただきました。昔の製法のお豆腐で、美味しかったです。日本庭園がとてもきれいでした。



 三年坂はとても混雑していました。ほとんどが外国からの観光客でした。ヒジャブをかぶった人を見かけて、インドネシアの友達と一緒に来られたらよかったな、と思いました。




 八坂神社。結婚式をしていて、巫女さんの舞を見ました。



 「祇園祭ぎゃらりぃ」 で、原寸大の山鉾のレプリカを見ました。



 祇園を散歩しました。祇園には、あちこちに小さな祠がありました。


 辰巳大明神のお社。芸事をつかさどる神さまで、舞妓さんがよくお参りするそうです。


 三十三間堂には圧倒されました。仏教の守護神、迦楼羅がいました。ヒンズー教のガルーダに由来します。この旅行で、たくさんの神社やお寺をお参りして、さいごの日にガルーダに会えたことに、感動しました。ぼくを乗せて旅をしてくれて、インドネシアの友達に会わせてくれて、ガルーダ、どうもありがとう。撮影禁止だったので、パンフレットから。



 東本願寺へ。山門は世界最大の木造建築の一つです。すばらしくて感動しました。


 本堂も、阿弥陀堂も、すばらしかったです。御詠歌を聴くこともできました。ゆっくり見たかったのに、時間がなくて残念です。今度は、法要のときにお参りしたいです。


 お寺や神社は、祈り、世界観、富、権力、美意識が、かたちとして現れているので、とても面白いです。9歳から沖縄で暮らしてきたので、県外の神社や寺で見たことや感じたことは新鮮で、驚きの連続でした。

 初日の神戸で日本のなかの外国を感じて、最終日の京都で世界各地から来た人たちと観光しました。混じることで生まれるものがあり、混じらずにとどまろうとするものもあり、文化は生きもののようだと思いました。楽しかったです。

いんやく りお





  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 00:00Comments(0)国内旅行

2024年10月30日

京阪神と紀伊(4)伊勢・志摩 10/17-10/26

熊野(3) から続く。

 伊勢に着いたのは夕方だったので、初日は外宮だけ参拝しました。




 翌朝は、内宮にお参りしました。五十鈴川のせせらぎと鳥の声が、とてもきれいでした。これまでお参りしてきた高野山や熊野三山と、まったく異なる世界観でした。団体ツアー客が来る前で、静けさを感じることができて、よかったです。


 内宮の風日祈宮。


 静かなもの、ささやかなものから、大きないのちを感じる感性が、伊勢にあると思いました。日本の美意識の源流になっているのかもしれないと思いました。


 おはらい町とおかげ横丁を散歩しました。和の町並みがとてもきれいで、インドネシアの友達に見てもらいたいと思いました。赤福、伊勢うどん、松坂牛のお刺身、コロッケ、串焼き、みんな美味しかったです。


 招き猫の店がありました。



 二見興玉神社には、あちこちにカエルの置きものがありました。後ろに見えている岩が、夫婦岩の一部です。


 輪注連縄でお祓いするのが面白かったです。


 沖縄のオオシャコガイが飾られていました。推定150年だそうです。



 ミキモト真珠島の博物館。御木本幸吉さんは、早くから世界を視野に真珠の養殖を始めたそうです。真珠もきれいでしたが、貝の内側もきらきらしていて、とてもきれいでした。



 志摩の海女小屋で、海の幸を炭火で焼いていただきました。


 海女さんが地元の輪踊りを踊ってくれました。


 海女文化資料館。


 海女さんの手拭いにある魔除けの印は、陰陽道に由来します。魔除けが刻まれた石が玄関にあったら、その家には海女さんが住んでいるそうです。海女さんが信仰している石神さんにお参りする途中で、海女さんの家を何軒か見つけました。


 伊勢神宮・内宮の別宮で、伊雑宮(いざわのみや)にお参りしました。すぐ隣は御神田で、水田の前に鳥居があります。伊雑宮の神事・御田植式は、「磯部の御神田」と呼ばれ、日本三大御田植祭の一つとして、国の重要無形民俗文化財だそうです。右側の森が伊雑宮です。



 横山展望台に寄って、愛宕湾を眺めました。


 翌朝は、志摩から「天の岩戸」(恵利原の水穴)に行きました。天照大神が隠れ住んだと伝えられ、禊をする小さな滝がありました。山道を少し歩きました。気持ちよかったです。



京都(5) に続く。


  

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2024年10月29日

京阪神と紀伊(3)熊野 10/17-10/26

高野山(2)から続く。

 熊野本宮大社。正面の階段がきつかったので、車で山を登って裏から参拝しました。熊野古道を歩く巡礼の道から、お参りすることになりました。八咫烏のシンボルがあちこちにありました。門の奥は撮影禁止で、とてもきれいなお社でした。


 地球を背負っている八咫烏とポストです。ジャカルタに日本文化愛好サークルがあって、八咫烏をシンボルにしています。ジャカルタの友達が見たら喜ぶだろうなと思いました。

 
 熊野本宮大社の向かいにある、日本一の大鳥居。上のほうに八咫烏のシンボルが掲げられています。大鳥居の奥は大斎原です。熊野本宮大社は、もともと大斎原にありましたが、明治時代の水害でお社が流されて、いまの場所に移転したそうです。いま大斎原は小さな祠があるだけの野原です。



 熊野は自然信仰と関わりがあるということで、瀞峡めぐりをしました。鏡のような水面に、滝や岩が反射して、幻想的でした。和歌山県、三重県、奈良県の県境です。



 那智青岸渡寺・熊野那智大社をお参りしました。隣どおしに建っています。遠くに那智の滝が見えました。





 八咫烏のお社がありました。





 捕鯨の町・太地町に泊まって、鯨料理のフルコースをいただきました。南蛮漬け、竜田揚げ、ベーコン、くじらてっぱ、胡麻和え、赤身と皮の刺身、ハリハリ鍋など、いろいろ。



 捕鯨の史跡を探してドライブしていたら、野生の鹿の親子がいました。可愛かったです。


 太地町立くじらの博物館。古式捕鯨のジオラマ。吹き抜けに飾られていて、迫力がありました。


 熊野速玉神社をお参りしました。これで熊野三山すべてお参りです。昔は、熊野本宮から熊野川を下って熊野速玉神社に参詣したそうです。川下りのお参りもいいなと思いました。



伊勢・志摩(4) に続く。


  

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2024年10月29日

京阪神と紀伊(2)高野山 10/17-10/26

神戸・大阪(1) から続く。

 ジャカルタで、仏教、儒教、ヒンズー教が混じったお寺を参拝して、とても興味深かったので、日本の信仰も知りたいなと思っていたら、SNSで面白い投稿を見つけました。「日本人の世界観は、BIOS(Basic Input/Output System)が神道、OSが仏教、アプリケーションとしてキリスト教などが入っている」というものです。なるほどと思ったので、寺社めぐりをすることにしました。

 高野山麓の丹生都比売神社。空海を高野山に招いた丹生都比売を祀っていて、日本の神仏混淆の原点です。


 高野山に行きました。大きな山門があって、その奥にはお寺の町が開けていました。山門の向かいからは、晴れていると淡路島や四国も見えるそうですが、ぼくが行ったときは霞がかかっていました。


 金剛峯寺で阿字観瞑想をしました。気持ちよかったです。金剛峯寺は石庭が有名です。



 金剛峯寺はとても大きくて、部屋にも美術品にも歴史的なエピソードがあります。拝観のさいごに見学した部屋に、慧果和尚の像があって、まばたきしているように見えました。金剛峯寺は、本堂の屋根にハシゴがかかっていて桶が置いてあるのですが、これは火事のときすぐ消火活動をするためだそうです。



 宿坊に泊まりました。精進料理おいしかったです。朝のおつとめもよい経験でした。



 参与会のかたに、奥之院を案内してもらいました。歴史上の人物が、敵味方にかかわらず眠っていました。ロケットや自動車などをシンボルにした企業のお墓もありました。写真は親鸞の墓碑です。



 親鸞と法然と熊谷直実が祀られている熊谷寺です。石像は熊谷直実。


 弘法大師は現在も奥之院に住まわれていると信じられています。お坊さんが食事を運んでいるところを見学しました。橋を渡った先は、撮影禁止でした。


 根本大堂と三鈷の松。根本大堂は色鮮やかで、青色の肌の仏さまも描かれていて、ヒンズー教寺院を思い出しました。空海は、中国から日本に帰る船の上から、三鈷杵を投げました。三鈷杵が引っかかっていたのが、三鈷の松です。三葉の松葉がたくさん落ちていました。見つけると幸せになるそうです。


 丹生都比売を祀るお社もありました。高野山の中でも、とても重要なお社として位置づけられているそうです。


 高野山を下りて、熊野に向かいました。

熊野(3) に続く。

  

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2024年10月28日

京阪神と紀伊(1)神戸・大阪 10/17-10/26

 卒業旅行が楽しかったので、また関西に行くことにしました。スタートは、神戸中華街です。横浜中華街のように大きくなかったですが、占いと開運グッズのお店が目立つことがなく、落ち着いた雰囲気でした。北京ダック美味しかったです。


 有馬温泉に泊まりました。ねねの銅像です。金泉と銀泉の二つの温泉があって、気持ちよかったです。山の中の温泉なので、散歩するのに坂道は大変でした。


 次の日は展望台に寄りました。伊丹空港、関西国際空港、神戸空港の3空港が見えるそうですが、曇っていたせいもあって、あまりよくわかりませんでした。

 神戸市内に戻って、神戸ムスリムモスク(イスラム教)に行きました。東南アジア系のご家族の笑顔を見て、ジャカルタの友達を思い出して泣きたくなりました。日本最古のモスクです。金曜礼拝だったので、中には入れませんでしたが、ナツメヤシをいただきました。


 バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院(ジャイナ教)。正面ドアの装飾がとてもきれいでした。





 関西ユダヤシナゴーグ(ユダヤ教)。第二次世界大戦のとき、神戸にはユダヤ難民救済の活動拠点があったそうです。

Stand with Palestine🇵🇸🇵🇸🇵🇸🇵🇸

 北野異人館街に行きました。たくさんの洋館がありましたが、印象的だったのは、坂の上の異人館です。唯一の中華風の洋館で、明から清の時代の家具や美術品が展示されていました。後ろの肖像画は、清の皇帝です。



 他の洋館もきれいでした。
  


 海外移住と文化の交流センター。海外移民の資料館です。移民する人たちはここで研修を受けて出発しました。建物には移民する前の落書きも残っていました。






 建物は古いので、取り壊しの話が出たのですが、貴重な歴史資料として残すことになり、寄付が集まったそうです。移民したご本人や子孫のかたが資料を探しに来ることがあるそうです。移民する人たちは、この建物の前で記念撮影をしてから海外に行ったのだと、ガイドさんに教えてもらいました。


 次の日は、神戸華僑歴史博物館に行きました。近現代の歴史資料が展示されていました。関帝廟には時間がなくて行かれなかったので、次に来るときに寄ってみたいです。博物館には人民日報があり、一面にインドネシアのニュースが載っていて、ジャカルタの友達を思い出しました。


 大阪に出て、落語を聞きながら、タグポートのクルーズで中之島を一周しました。大阪は地盤沈下しているので、橋が低いところに架かっているそうです。


 リトル沖縄に行きました。商店街「サンクス平尾」には、沖縄の苗字のお店がいくつもあり、琉舞研究所の看板もありました。シーサーのイラストが描かれたシャッターがいくつもありました。沖縄物産展で黒糖を買いました。



 鶴橋商店街の食堂で、韓国料理をいただきました。美味しかったです。


 大阪コリアタウン歴史資料館で、安聖民さんのパンソリライブを聴きました。語りと太鼓の迫力がすごかったです。今回は古典でしたが、在日の人の思いをのせた新作パンソリも、いつか聴いてみたいです。



 高野山(2)に続く。


  

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2024年10月24日

琉球新報「ティータイム」に掲載されました 10/24

 Jakarta-Japan Festivalの思い出が琉球新報に掲載されました。JJM2024 のステージ、最高でした。うーまくーエイサーしんかインドネシアのみんな、Terima kasih!


「文化の力で示す沖縄の存在感」

 インドネシア最大の日本フェスティバル「ジャカルタ・日本まつり」(9月14-15日、来場2万5000人)に、ぼくは「うーまくーエイサーしんかインドネシア」と出演した。うーまくーはメンバー全員インドネシア人、創立22年の創作エイサー団体だ。

 ぼくのオリジナル曲「ガルーダ琉球」が流れると観衆が波のように踊り出し、ぼくは会場いっぱいのコールに包まれて「ほんものの祭りが始まった!」と鳥肌が立った。あまりの盛り上がりにフィナーレでアンコールがかかり、終演後は多くの人に「きみの楽曲はインドネシアの魂を歌っている」と声をかけられた。

 インドネシアは約6000の有人島と700以上の言語から成り立つ。世界最大のイスラム人口を有しつつ、キリスト教、ヒンズー教、仏教、儒教も信仰される。ヒンズー教の神「ガルーダ」は、多様性の中の統一を目指すインドネシアのシンボルだ。格差や対立という社会問題に対して多文化共生を掲げるインドネシアは、人類の希望を抱く宝箱だと思う。

 ぼくは「ガルーダ琉球」で、万国津梁の鐘の碑文から「琉球国は蓬莱島なり 南の国の景勝地にて 宝は十方刹に満つ」と口説を歌った。三線に合わせてインドネシアの人たちが踊ると、会場には沖縄の風が吹いた。それは「ジャカルタ・日本まつり」を、沖縄が乗っとった瞬間だった。

 沖縄は文化の力で、沖縄の存在感を示すことができる。ぼくの心には、豊かさをもたらす海の道が、はっきりと浮かぶ。ぼくはその確信を旅の土産として、沖縄の友達に伝えたい。



キラキラ JJMについて、他の記事はこちらキラキラ 

琉球新報 / 2024年10月22日


 じゃかるた新聞(特集の一部) / 2024年9月17日
 


いんやく りお






  

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2024年10月01日

シンガポール 9/10, 9/16

 ジャカルタには、シンガポールのトランジットを選びました。チャンギ空港は世界ランキング1位で、空港じたいが一つの街のようでした。空港の中に、滝、植物園、ミュージアムまでありました。高さ40メートル、屋内の滝としては世界最大です。


 リトル・インディアのお店。ヒンズー教の寺院の壁には、たくさんの神々がいました。寺院の前のお店では、インド系の人たちがお供物を売っていました。マレー半島にインド系の人が多いのは、植民地時代に労働力として移民があったからだそうです。


 アラブ・ストリートのモスク。通りには、おいしそうなアラブ料理のレストランがたくさんありました。


 リトル・チャイナ。右に少し見えるのは仏歯寺です。ヨーロッパ建築の影響と中華風の店構えが共存していて、伝統的な建物の向こうには現代のビルが見えるのが面白いと思いました。


 京劇を楽しむ人たちの様子を描いた壁画。リトル・チャイナには他にもいくつか有名な壁画があり、中国系移民の昔の生活が描かれています。中国からは、植民地時代、労働力としてマレー半島に移住した人が多くいたそうです。東南アジアにおける華人の歴史は、複雑なものがあることを、最近になって知りました。



 ラッフルズ・ホテル。奥のほうまでずっと、建物が続いていました。植民地時代を思わせます。



 展望台からの眺め。たくさんの船が見えました。海は争いではなく交易の道であってほしいです。



 ヒンズー教の寺院は初めて訪れました。カラフルな絵や彫刻で、たくさんの神様が表現されていました。このどこかに、ガルーダが描かれているかもしれない、と想像しました。


 儀式を見学させていただきました。色彩と音楽に包まれて、心が遠くに運ばれていきそうでした。僧侶がカーテンをめくると、奥に神さまの姿が見えました。旅のさいごにヒンズー教の寺院を訪れることができたことに、感謝しています。



 シンガポールのシンボル、マーライオン。シンガポールの語源「シンガプーラ」は、サンスクリット語で「獅子の街」を意味するそうです。


 イリュミネーション。地球儀のイリュミネーションではジャカルタの場所を探してしまいました。


 
 シンガポールはとてもきれいでした。でも、ジャカルタのことが心から離れず、ふとしたときに涙があふれてしまいました。シンガポールを思い出すと、ジャカルタの友達の笑顔も、一緒によみがえります。

いんやく りお
 
 
   

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2024年09月30日

ジャカルタ(3)Old Shanghai City 月餅祭 9/13

 ジャカルタの Old Shanghai Cityの月餅祭で、「うーまくーエイサーしんかインドネシア」の演舞を見学しました。ぼくのオリジナル曲「ガルーダ琉球」がインドネシアで踊られているのを見たのは初めてで、感動しました。




 ステージ後の記念撮影。うーまくーKids は目がきらきらしていて、本当にかわいかったです。プレゼントや手紙もありがとう!



 月餅祭には、東ジャカルタ市の市長さんなど、来賓が多く参列していました。インドネシアの人たちの真ん中で、インドネシア国歌「Indonesia Raya」を聴きました。インドネシアの独立を歌っています。

 インドネシアの華人たちによる獅子舞。



 アチェの踊り、バリ舞踊、ジャワの伝統芸能のステージもありました。



 インドネシアの中華街で、ベトナム提灯の下の屋台で、韓国料理をいただきました。




 地元のお祭りを見ることができて、とても楽しかったです。案内してくれたPepen, Heti, うーまくーのみんな、どうもありがとう!



いんやく りお

  

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