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2024年09月27日

【Jakarta】「Jakarta-Japan Matsuri 2024」2nd Day & フィナーレ 9/15

 インドネシア最大の日本フェス「Jakarta-Japan Matsuri」(来場25000人)に「うーまくーエイサーしんかインドネシア」と出演しました。ぼくの楽曲「ガルーダ琉球」で、会場のみんなが自然に踊り出し、コールがかかり、ぼくはステージの上で「ほんものの祭りが始まった」と思いました。

 あまりの盛り上がりにアンコールがかかり、フィナーレでも「ガルーダ琉球」を歌いました。「琉球国は蓬莱島なり」の口説で、たくさんのインドネシアの人たちが踊っているのを見て、「ジャカルタ日本祭り」に沖縄の風が吹いていると感じました。

 何人ものインドネシアの人たちに「きみの楽曲はインドネシアの魂を歌っている」と声をかけていただきました。とても幸せな時間でした。一生の思い出です。
 
 フィナーレでは、ジャカルタ在住の日本のミュージシャンと、インドネシアのミュージシャンとのコラボレーションで、「Jakarta-Japan Matsuri2024」テーマソングに、三線で参加しました。とても楽しかったです! ありがとうございました。

 9月14・15日、2つのステージとフィナーレに出演し、沖縄ブースにも飛び入り参加しました。リンクは9月15日のステージの一部です。会場の熱気を見ていただけたら嬉しいです。

いんやく りお (Plaza Parkir Timur, Jakarta, INDONESIA)


 Saya tampil bersama Umaku Eisa Shinka Indonesia di Jakarta-Japan Matsuri (25.000 pengunjung), festival Jepang terbesar di Indonesia. Ketika saya membawakan lagu saya "Garuda Ryukyu", semua orang di tempat itu mulai menari dan berseru, dan saya berpikir di atas panggung, "Festival yang sesungguhnya telah dimulai."

 Kegembiraan itu begitu besar hingga encore pun dipanggil, dan saya menyanyikan Garuda Ryukyu di bagian akhir. Ketika saya melihat begitu banyak orang Indonesia menari mengikuti lirik "Ryukyu adalah pulau surgawi," saya merasa bahwa angin Okinawa berhembus di Jakarta Japan Festival.

 Banyak orang Indonesia berkata kepada saya, "Lagu Anda menyanyikan jiwa Indonesia." Itu adalah saat yang sangat membahagiakan. Itu adalah kenangan yang akan saya hargai selamanya.

 Untuk penutup, saya berpartisipasi dalam sanshin dalam kolaborasi antara musisi Jepang yang tinggal di Jakarta dan musisi Indonesia, membawakan lagu tema untuk "Jakarta-Japan Matsuri 2024." Sangat menyenangkan! Terima kasih banyak.

 Pada tanggal 14 dan 15 September, saya tampil di dua panggung dan di bagian akhir, dan juga mampir untuk berpartisipasi di stan Okinawa. Tautan mengarah ke bagian panggung pada tanggal 15 SeptemberMeski hanya sebagian kecil saja, saya harap Anda dapat melihat kemeriahan di tempat tersebut.

Rio Inyaku (Plaza Parkir Timur, Jakarta, INDONESIA)




  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 22:59Comments(0)ライブレポート国際イベント海外でのイベント海外旅行

2024年08月25日

23歳になりました & 海外ステージのお知らせ

 誕生日メッセージありがとうございました。23歳になりました。

 誕生日はウークイ(旧盆の送り日)だったので、勝連の平敷屋青年会の奉納エイサーを見学しに行きました。チョンダラーの存在感をはじめ、演舞が創り出す世界観がすばらしく、感動しました。

 勝連では屋慶名青年会の道じゅねーも見てから、沖縄市に行き、東青年会の道じゅねーと、山里青年会の道じゅねーを追いかけました。地謡のスピーカーから流れる、ひずんだ三線の音と太鼓の音は、道じゅねーにしかない臨場感です。沖縄で暮らせて、幸せです。

 ところで、インドネシアの日本フェスティバルに、出演が決まりました。

 9月14〜15日
 JAK-JAPAN MATSURI 2024
 Parkir Timur Gelora Bung Karno Jakarta
 
 ぼくのオリジナル曲「ガルーダ琉球」が、インドネシアとぼくをつないでくれました。

 ガルーダに乗って飛び立つ
 赤道を越えて未来へ

 Let’s take off on Garuda
 Fly high across the equator to the future

 Across America Tour 2018 以来、久しぶりの海外で、とてもわくわくしています。U-maku Eisa Shinka Indonesiaのみんな、どうぞよろしく!

いんやく りお



【First appearance on stage in Jakarta!】

 Thank you for the birthday messages. I turned 23. This year, my birthday was on the last day of Obon in the lunar calendar, so I went to see the dedicated Eisa of Heshikiya seinenkai in Katsuren. I was moved by the presence of chondara and the wonderful world view created by the performance.

 After seeing the eisa performance of Yakena seinenkai on the street, I went to Okinawa City and followed the eisa performance of Higashi seinenkai and Yamazato seinenkai on the street. The distorted sound of the sanshin and the taiko drums coming from the speakers can only be enjoyed on the street. I am happy to live in Okinawa.

 Well, I have a great news to anounce: my first appearance on stage in Jakarta!

 14-15 September
 JAK-JAPAN MATSURI 2024
 Parkir Timur Gelora Bung Karno Jakarta
 https://www.jakjapanmatsuri.id/index-jpn.html

 My original song "Garuda Ryukyu" connected me to Indonesia.

 Let's take off on Garuda
 Fly high across the equator to the future

 It's been a while since I've been overseas since the Across America Tour 2018, and I'm very excited. I will be so happy to see all friends of U-maku Eisa Shinka Indonesia!

Rio Inyaku

  


Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 15:09Comments(0)イベント告知国際イベント近況海外でのイベント

2024年07月06日

波照間島の旅 6/24-6/25


 石垣島での慰霊の日の集いのあとに、波照間島に行きました。去年の慰霊の日、ぼくは石垣島で「星になった子どもたち」という歌を聴き、衝撃を受けました。波照間島から西表島に強制移住になり、戦争マラリアで亡くなった子どもたちを歌った歌です。日本最南端の島でもあり、行ってみたいと思っていました。

 ニシ浜の波照間ブルーは、とてもきれいでした。


 波照間空港。19人乗り(乗客15人)の小さな飛行機で、石垣空港まで飛ぶそうです。


 最南端の岬には、石碑が三つあります。「波照間の碑」は、蛇が2匹からみあい、全都道府県から運んできた石を抱きかかえるデザインになっていました。これは、波照間島が二度と、日本から切り離されないように、という意味だそうです。石が積んであるところが、蛇です。



 星空観察に行きました。満天の星空で、南十字星が見えました。天の川もくっきり見えました。八重山の歌に「てぃんがーら(天の川)」や星が歌われるのは、このような夜空の下で暮らしてきたからなのだと、感動しました。



 月が上がると空は明るくなって、海にムーンロードが浮かびました。「月ぬかいしゃ」を思い出しました。暗闇を照らす月を、ありがたく、神々しく感じる気持ちがわかりました。


 波照間島には、ヤギがたくさんいました。子ヤギは好奇心が強く、眺めているとすぐ寄ってきました。とても可愛かったです。



 波照間小学校の塀には、「星になった子どもたち」の歌詞が書かれていました。波照間島には、西表島に向かって、子どもたちの慰霊碑があります。


 そのとなりには、戦後の食糧難で島の人たちを救った、ソテツや動物たちへの感謝の碑もありました。


 「泡波」は生産量が少なく、幻の泡盛といわれています。島の売店にはたくさんあったので、お土産にしました。


 自然の美しさと、厳しさと、国境と、戦争の記憶に出会う旅でした。帰りのフェリーでは、波しぶきの向こうに何度も虹がかかりました。西表島、新城島、黒島、小浜島、竹富島を眺めながら、石垣島に帰りました。


 那覇に帰る飛行機では、多良間島、下地島、伊良部島、宮古島、池間島が、きれいに見えました。


 慶良間諸島が見えると、もうすぐ沖縄島です。


 青い海に島々がつらなるのを見ることができて、夢のような旅でした。島は生きていると感じました。

いんやく りお
  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 22:53Comments(0)国内旅行

2024年07月06日

【石垣島】慰霊の日の集い 6/23

 慰霊の日は、山里節子さんに会いに、石垣島を訪れました。戦争マラリアの慰霊碑で祈り、公民館での集いに参加しました。八重山の古謡、踊り、宮古の古謡などがありました。ぼくは「上り口説」をベースにした「WORLD PEACE口説」を歌いました。



 慰霊の日は、ご遺族のためにあるとぼくは思います。ぼくは沖縄戦の遺族でないのに、どのように関わったらいいのか、いつも考えます。節子さんにそう言ったら、「もう身内のようなもの」と言ってくれて、「まるざー」について教えてくれました。

 「まるざー」とは、みんなが円になり、だれが上とか下というのではなく、それぞれが歌や芸を披露して、楽しむ場のことだそうです。その精神を引き継いで、「慰霊の日」の集いでは、ステージを使わず、みんなで円になって、だれもが歌いました。

 節子さんに会うたびに、歌は誰のものだろう? 誰が誰のために歌うのだろう?と、気持ちがしんとします。石垣島がいつまでも平和で、みんなで歌い続けることができることを、祈っています。

 

 集いのあとは、波照間島に行きました。八重山諸島は、とても美しいところです。島々かいしゃ(島々は美しい)。

いんやく りお(名蔵公民館/石垣市)


  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 19:44Comments(0)離島イベント

2024年07月04日

RBC(琉球放送)ラジオ「MUSIC SHOWER Plus+」に出演しました 7/4

「MUSIC SHOWER Plus+」に出演しました。嘉大雅さん、くだかまりさんとのトーク、とても楽しかったです! どうもありがとうございました。

 デザイナーの十場いちごさんと一緒に、「ファッションショー1+1」を告知させていただきました。「琉球の風〜沖縄祭りin高崎」もお知らせしました。BGMでは、中国の張健輝さんと共同制作した新曲「まばゆい雨」を流していただきました。


 ぼくのCDのポスターを貼っていただいていて、とても嬉しかったです。ありがとうございます!


 いんやく りお (RBC 琉球放送 ラジオスタジオ/那覇市)



  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 22:23Comments(0)メディア出演

2024年05月24日

「まばゆい雨 〜潇潇细雨〜」MUSIC VIDEO

 中国の詩人 张健辉とのコラボ楽曲、第2作「まばゆい雨」ミュージックビデオを公開しました。 いんやく りお




「まばゆい雨」

心を 光に託すなら 六月の太陽よ
天高く照らし 時空 越えて 運べ 我が思い
まばゆい雨は 蒲葵を伝い 陽炎の向こうに
浮かぶ きみの面影に 唄を 奏でている

夢か 現か 幻か
常世 現世 隠り世 越えて
輪廻の螺旋は 回りゆく
永遠に煌めく 記憶となる

世界上最耀眼 闪亮的东西 总是让我很好奇
到底是那太阳 还是你的心 可是却没法看得清
天边的小雨 也在陪着我 走向有你的轨迹
假如认出了我 此去经年里 把故事都说给你听

有在悠哉 又再犹在 快到这边来
幽来悠来 又来游来 起起伏伏的人海
就像烟花 开满星空 一瞬的夏夜
回头望 却只剩下 记忆的尘烟

是谁停不下的泪流
淌在我的心上哟


(翻訳)
世にもまばゆく煌めくものは
いつも ぼくを魅了する
あの太陽か きみの心か
見分けるすべは ないけれど

天の細雨を 身にまとい
きみの軌跡を ぼくは追う
きみが ぼくを見分けたら
積年の物語を すべて語ろう

またもや悠久よ またなお悠然と
早く此岸に 渡り来い
幽明の水面を 悠々と また渡る
波打つ数多の 人影を越えて

星空を満たす 花火に似て
一瞬の夏の夜
振り向けば ただ
かすかな記憶が 煙るだけ

誰の瞳に 涙があふれる
ぼくの心に 雨の降る


‘‘Sparkling Drizzle’’ by Rio Inyaku and Zhang Jianhui; 2nd collaborative song. Sung in Japanese & Chinese. English subtitles available. Rio Inyaku


‘‘Sparkling Drizzle’’

The sun of June, I entrust my heart to your light
Shine high in the sky and carry my aspiration across time and space.

The dazzling rain falls down the palm trees
to play a song to your image that floats beyond the haze.

Is it a dream, reality, or illusion?
The spiral of reincarnation keeps turning
beyond the eternal world, this world, and the underworld
Our memories will shine forever.

I am always fascinated by shiny things.
But there's no way to tell if it's the sun or your heart.

With the light rain of heaven, I follow in your footsteps.
If you recognize me, I will tell you all the stories over the years.

Once again, forever, it still exists leisurely.
Hurry and come to this shore.
Swim gracefully across the water again
beyond many figures in the timeless world.

Like fireworks blooming in the starry sky,
on a fleeting summer night,
I turned around only to find a faint memory.

I wonder who is shedding tears
It is raining in my heart


  


Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 20:36Comments(0)国際イベントミュージックビデオ

2024年04月29日

North Asia Retreat -Welcome Night- 4/27

 Global Shapers Community 2024 Okinawa hub が主催した North Asia Retreat のイベントで、演奏させていただきました。GSCは、世界経済フォーラムの関連組織で、多様なバックグラウンドを有する、30歳以下の若者によるコミュニティです。North Asia Retreat には、北京、上海、香港、台湾、韓国、モンゴル、日本各地から参加者がいました。


 ぼくは「ミルクムナリ」「アリラン」「海的那边哟 〜遥かな友よ〜」を演奏しました。「ミルクムナリ」では沖縄の方たちが創作エイサーを踊ってくださり、「アリラン」では韓国のグループから、「海的那边哟 〜遥かな友よ〜」では中華圏の方たちから歓声が上がりました。たくさんの方がスマホのライトを掲げて、ペンライトのように振ってくれました。あたたかい会場で、感動しました。

 歌詞のパンフレットをお渡ししたので、中華圏の方たちに「すばらしい詩だね」「中国語と日本語が混じっている曲は初めて聴いた」とお声かけいただき、口ずさんで下さった方もいました。

 会場は、ぼくが大好きな福州園でした。中国・福州の景色が再現され、ライトアップされた東治堂の前でライブできたのは、本当に嬉しいことでした。


 久米の旗頭の演舞もあり、すばらしかったです。仲嶺良盛さんの歌三線では、琉球国時代はこのように外国の賓客をもてなしていたのだろうなと思いました。スタッフの方たちは、すごいなと思いました。呼んでくださって、どうもありがとうございます。嬉しい出会いに感謝しています!

いんやく りお(福州園/那覇市)

  


Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 22:04Comments(0)ライブレポート国際イベント

2024年04月06日

琉球新報「ティータイム」に掲載されました

 ぼくの投稿が琉球新報に掲載されました。弁財天堂での奉納演奏、とても楽しかったです。

 山内昌也先生、ありがとうございました。ひなた、あおり、一緒に演奏してくれてありがとう!

いんやく りお



「先人の思いを継承したい」 

 この春、ぼくは沖縄県立芸術大学を卒業した。琉球芸能専攻は、世界で唯一県立芸大に設置された専攻で、ぼくはその一員となったことを誇りに思う。ぼくは持病があり、コロナ禍でかなり行動制限があった。山内昌也先生をはじめ、先生がたに温かいご配慮をいただき、学友に親切にしてもらって、感謝の言葉が追いつかない。

 卒業を記念して、山内昌也先生のご手配で、ぼくは首里城公園の弁財天堂で学友と奉納演奏させていただいた。弁財天堂は、朝鮮から贈られた高麗版大蔵経を納めるために建立された。弁財天堂を囲む円鑑池は湧水と雨水によって城域一帯をつなぎ、天女橋は中国の駝背橋の様式で、アジアの架け橋を思わせる。隣接する県立芸大のように、弁財天堂も琉球の美学を受け継ぐ場として、折にふれて琉球古典音楽が流れてほしい。

 琉球古典音楽は、琉球国時代の時空を呼び覚まし、過去と現在を交流させるタイムカプセルだと思う。4年前、ぼくは県立芸大入試の実技試験で不思議な体験をした。最初の一音を弾いたとたん、フィルムのようなものが2本、ぼくの周りを回るイメージが浮かび、琉球国時代から戦後までの人々の姿が映し出されたのだ。大学入学後、ぼくは県立芸大の音楽棟のあたりにはかつて高所勘定座があり、御冠船踊りの稽古がおこなわれていたと知った。

 歌三線だからこそ湧き出る、先人の思いがある。琉球国の人々は芸能を外交に生かし、豊かさと平和を築こうとした。ぼくは県立芸大での学びを活かし、微力でも先人の思いを継承したい。

  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 18:37Comments(0)メディア出演琉球古典音楽近況

2024年03月26日

弁財天堂で奉納演奏しました 3/25

 卒業公演として、弁財天堂で琉球古典音楽を奉納演奏しました。すばらしい機会を作ってくださった山内昌也先生、ありがとうございます。あおり、ひなた、どうもありがとう!


 聴きにきて下さった皆さまに、感謝申し上げます。見守ってくださる方々に恵まれていることが、本当にありがたいです。



 弁財天堂は、朝鮮から贈られた大蔵経を納めるために建てられました。アジアとのつながりを感じられるので、大好きな場所です。そのような場所で演奏できて、とても嬉しかったです。



 弁財天堂がこれからも琉球古典音楽が流れ、世界の架け橋となる場所であってほしいと思いました。ありがとうございました。



いんやく りお (弁財天堂/那覇市)

  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 18:42Comments(0)琉球古典音楽近況

2024年03月23日

山里節子さん 島袋文子さんと語る会 3/23

 「戦雲」(三上智恵監督)の公開記念に、石垣島から山里節子さん、辺野古から島袋文子さんが招かれて、「語る会」が開かれました。

 ぼくは節子さんに招待されて、試写会に行きました。ぼくが初めて石垣島を訪れたのは6年前で、それから石垣島の姿は少しずつ変わっています。「戦雲」は、八重山群島、宮古諸島の現状を伝えています。それぞれの島に、人々が守りたい大切な暮らしがあります。

 ぼくは節子さんの古謡を聴きに行ったのですが、その後、成り行きでぼくも歌うことになり、とんでもないことになったと思いました。節子さんや皆さんと同じ時間を過ごせたことに、感謝しています。ありがとうございました。



いんやく りお (ゆかるひ/那覇市)  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 23:30Comments(0)出会い

2024年03月23日

レコーディング(嘉陽田朝裕さん、又吉佑衣さん)3/23

 嘉陽田朝裕さん作詞作曲の楽曲の音源制作を担当しました。

 

 又吉佑衣さんのボーカルで、レコーディングにも関わらせていただきました。



 とても楽しかったです。ありがとうございました!


いんやく りお (りおスタジオ/那覇市)

 5年前の同じ日は、平田大一さんとレコーディングしていました。まだ高校生で、1st CDに収録したカバー曲「ダイナミック琉球」のレコーディングでした。偶然で、びっくりです。




  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 23:00Comments(0)出会い音源制作/レコーディング

2024年03月20日

沖縄県立芸術大学を卒業しました


 いろいろなことのあった4年間でした。入学と同時にコロナの自粛生活が始まり、想像と違った学生生活でしたが、想像以上の出会いにも恵まれました。

 在学中は、たくさんの先生がたにサポートしていただきました。山内昌也先生は、ぼくの人生の恩人です。琉球・沖縄の文化を学ぶことができたのは、かけがえのない体験でした。



 同期のみんなとは、対面ではほとんど会えなかったけれど、優しく接してもらい、ありがたかったです。卒業式の後は、謝恩会、送別会に参加しました。ぼくにとって初めての飲み会でした。ものすごく楽しかったです! 琉球芸能専攻のすばらしい仲間の一員になれて、幸せです。



 卒業後は、母の経営する法人の事務を学びながら、マイペースで音楽活動を続けていく予定です。これからもどうぞよろしくお願いします。

いんやく りお




 I graduated from Okinawa Prefectural University of Arts!

 It was a four-year period in which many things happened. As soon as I enrolled the university, I had to begin to self-restraint due to the coronavirus pandemic. My student life was different than I had originally expected, but at the same time, I was blessed with many encounters that I had never imagined.

 During my student life, I was greatly indebted to many teachers. First of all, I would like to express my deep gratitude to Professor Masaya Yamauchi. It was a valuable experience to learn about the culture and spirit of Ryukyu/Okinawa.

 Although I could hardly meet my classmates in person, I am grateful that they were so kind to me. After the graduation ceremony, I attended the thank-you party and farewell party. It was my first drinking party and so much fun! I'm very happy and honored to be a member of Ryukyuan Performing Arts major.

 After graduation, I plan to continue my music career at my own pace while learning about management duties for the corporation my mother runs. Thank you for your continued support.

Rio Inyaku


  
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Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 21:27Comments(0)近況

2024年03月18日

卒業旅行(3)大阪・和歌山 3/15-3/17

卒業旅行(2)奈良 3/12-3/14」の続き。

 奈良を出て、大阪に入りました。高速道路から大阪城が見えました。


 道頓堀を散歩して、たこ焼きとお好み焼きを食べました。すごい人混みで、呆然としました。



 法善寺。水掛不動尊が緑の苔に覆われていました。


 大阪コリアタウン。食品店とK-POPの店が並んでいて、観光客でにぎわっていました。屋台で済州島の郷土料理をいただきました。




 コリアタウンの端に御幸森天神宮という神社がありました。日本語とハングルの両方で書かれた石碑がありました。このあたりは昔から朝鮮半島からの渡来人に縁のある土地だったそうです。

 
 鶴橋商店街まで歩きました。アーケードになっていて、韓国料理店や雑貨店が並んでいました。お惣菜はとても美味しかったです。昔ながらの雰囲気を知るには、コリアタウンより鶴橋商店街のほうがよさそうです。今度は鶴橋商店街を、ゆっくり訪れたいです。

 和歌山へ向かいました。大阪で遊びすぎたので、道成寺も梅干しの里も通り過ぎて、南紀・白浜へ。観光名所の円月島は、やはり存在感が大きかったです。


 アドベンチャーワールドで、パンダに会いました。笹を食べているところも寝ているところも、間近でゆっくり見られました。ものすごく可愛かったです。


 三段壁洞窟。波と風と岩と光のコラボが神秘的でした。熊野水軍が船を隠していた洞窟です。


 洞窟の中には牟婁大弁財天が祀られていました。弁財天像としては日本最大級です。眷族の印鑰童子もいました。苗字が同じなので、よく言われるのですが、ぼくが実物を見たのは初めてでした。


 白浜のホテルの温泉はすばらしくて、いつまでも入っていたいくらいでした。温泉を飲むこともできました。チェックアウトした後は、太平洋を眺める磯風呂に入りました。日本最古の温泉の一つだそうです。

 大阪に戻って、岸和田城を見学しました。



 岸和田だんじり会館。彫刻が細やかでした。体験コーナーで、地元の子どもたちが鳴り物を実演してくれました。



 日本の中には、さまざまな立場、感性、暮らしがあると思いました。少しドライブするだけで気候も世界観も変わるし、街はそこに集まる人によって、ぜんぜん違う雰囲気になります。奈良・大阪・和歌山は650キロ以上ドライブしました。10日間で、駆け足の旅行でしたが、楽しかったです。

いんやく りお

  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 00:10Comments(0)国内旅行

2024年03月18日

卒業旅行(2)奈良 3/12-3/14

卒業旅行(1)横浜・東京 3/8-3/11」の続き。

 奈良の山奥の洞川温泉に着いたときは、暗くなっていました。提灯の明かりが幻想的で、「千と千尋」の世界のようでした。350年の歴史がある「行者の宿」に泊まりました。

 

 朝は吹雪いていました。龍泉寺にお参りして、御朱印帳をいただきました。遠くから参拝に来る、熱心な信者さんがいました。天川村では、修験道にゆかりのある寺社をめぐりました。大峰山は現在も女人禁制だそうです。

 

 猪と鹿のジビエ。牡丹鍋とても美味しかったです。中国人の友達にSNSで知らせたら、「確かに、野生の豚のほうが養殖の豚より美味しい」という答えが返ってきて、なるほどと思いました。(中国語では豚肉を「猪肉」といいます)



 奈良市内に下りました。法隆寺に着いたとき、あまりに広くて、門の前で呆然としました。資料館では、一万円札になった「聖徳太子二王子像」の本物を見ました。



 唐招提寺。鑑真ゆかりの寺です。鑑真は「山川異域 風月同天」の漢詩に心を動かされて、沖縄経由で来日しました。


 奈良公園。鹿せんべいがほしくておじぎするのが可愛かったです。



 東大寺の大仏は、衝撃的でした。莫大な資金と労力をかけて巨大な仏像を建立したパワーには、ただ圧倒されました。大仏の建立には、天然痘蔓延という背景があったそうです。東大寺は、何もかも、規模が大きかったです。大きさには力があること、大きさは人を圧倒することを実感しました。


 天川村の修験道の世界観では、巨大で圧倒的なものといえば、自然なのではないかと思います。山を下りて、平地の奈良では、人間が巨大で圧倒的な何かを作ろうとしていたのが印象的でした。

 平城京跡地を通り過ぎて、大阪・和歌山へ。「卒業旅行(3) 大阪・和歌山 3/15-3/17」に続く。

いんやく りお
   

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 00:05Comments(0)国内旅行

2024年03月18日

卒業旅行(1)横浜・東京 3/8-3/11

 卒業旅行(東京・奈良・大阪・和歌山 3/8-3/17)に行きました。10日間で、中華街、政治と官庁の街、ビジネス街、繁華街、コリアタウン、山村、古都、海辺の温泉地を歩きました。道教寺院、モスク、山寺、奈良の寺を見学して、季節も吹雪から春までありました。「横浜・東京」「奈良」「大阪・和歌山」に分けて、アップロードします。

 最初は、ずっと行きたかった横浜中華街でした。関帝廟と媽祖廟にお参りしました。たくさんの神様がいて、長い線香を順番に1本ずつお供えしました。金紙も燃やしました。風が吹いて金紙が吸い込まれていく様子が面白かったです。おみくじは、三日月の形をした「神筈(しんばえ)」を落として、表と裏が出たら、おみくじを受け取るというものでした。


 中華街は、レストランと占いの店が並んでいました。お店の人が商売上手で、「福」の飾り、龍の置物、獅子のキーホルダーを買いました。街のあちこちでリアルな中国語を聞くことができて、楽しかったです。北京ダック、初めて食べました。おいしかった!


 日本最大のモスク「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」を見学しました。とても美しい建築で、コーランは歌のようでした。




 モスクのそばに、JASRACを発見。隣の「古賀政男音楽博物館」を見学しました。

 国会議事堂を見学して、参議院の赤じゅうたんの上を歩きました。本会議場は思ったより小さかったです。琉球石灰岩が階段に使われていました。庭には各都道府県の木が移植されていて、沖縄の木はソテツでした。





 国会前広場に立って、デモの現場はここか、と思いました。首相官邸のほうまで歩いてタクシーに乗り、霞ヶ関を見学してから銀座に出て、築地本願寺を見学しました。石造りの建物で、シルクロード文化の雰囲気があります。東日本大震災の法要をしていました。

  

 歌舞伎座まで歩きました。歌舞伎を見たかったけど、休演日でした。


 丸の内を散歩して、マンハッタンのようだと思いました。Apple丸の内で遊んで、夕食は丸ビルでした。フカヒレスープと青島ビール、ごちそうさまでした。丸ビルからは夜景がきれいでした。夜景を見ると、小さい頃、入院していたとき、窓から見た景色を思い出します。


 ホテルからは皇居と、その向こうの高層ビル街が見えました。9歳まで東京で暮らしていましたが、都心をじっくり見るのは初めてだったので、とても面白かったです。


羽田空港から関西空港へ。「卒業旅行(2)奈良 3/12-3/14」に続く。
  
いんやく りお


  

Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 00:00Comments(0)国内旅行