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2023年10月22日

山内昌也先生の独演会「渓の響」に行きました 9/30

 ぼくの投稿が琉球新報に掲載されました。山内昌也先生の演奏会の感想です。先生は沖縄県立芸術大学教授で、ぼくの恩師です。

 山内先生の歌三線は、玉陵の奉納演奏を聴いたときも、不思議な感覚に包まれました。音楽にはいろいろな力があることを気づかされます。県外の方にも、ぜひ聴いてもらいたいなと思います。山内先生、いつもありがとうございます。

いんやく りお



「琉球古典音楽は空間芸術」 

 琉球古典音楽の祖・湛水親方生誕400年を記念して9月30日、山内昌也先生の独演会「渓の響」が国立劇場おきなわで開催された。

 弦の擦れる音、余韻、無音の豊かさに浸りながら、琉球国時代の人たちはこの繊細な空気感を楽しんだのだと思った。琉球古典音楽の空気感は日常の時間を軽々と超える。舞台の山内先生は、上品なおじいさんの面影と二重写しになって見えた。琉球国時代の人が、先生と共に歌っているようだった。

 山内先生は、ぼくの琉球古典音楽の恩師だ。先生の歌三線を聴いていると、心が時間そのものに変わっていく。時間が引き延ばされたり揺られたりして、独特な空間が生まれる。ぼくは、琉球古典音楽は空間芸術だと思う。

 湛水は三線音楽を確立する際、おもろやクェーナなどの要素を取り入れた。琉球古典音楽は宮廷芸能として洗練されたが、古来の神歌を引き継ぎ、神事の要素も遺っているのではないか。首里城が再建されたら、正殿で山内先生の奉納演奏がされることを願っている。あの空気感が首里城で再現されたら、琉球国時代の人たちはきっと喜ばれるだろう。

 湛水は、あえて琉球独自の芸能をつくり上げようとした。それは大和芸能を重視する羽地朝秀とのすれ違いを生み、湛水は遊女との恋をとがめられて、首里を追われた。

 海の向こうからはよいものも悪いものもやってきて、豊かさも葛藤ももたらした。琉球の美を先人と共有し、その祈りから学ぶことは、沖縄がどこに向かおうとしているのか見つめる大切な機会になると思う。

山内昌也先生の独演会「渓の響」に行きました 9/30


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Posted by いんやく りお Rio Inyaku at 00:00│Comments(0)琉球古典音楽テレビ/新聞/ラジオ等
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