波照間島 6/24-6/25

いんやく りお Rio Inyaku

2024年07月06日 22:53


 石垣島での慰霊の日の集いのあとに、波照間島に行きました。去年の慰霊の日、ぼくは石垣島で「星になった子どもたち」という歌を聴き、衝撃を受けました。波照間島から西表島に強制移住になり、戦争マラリアで亡くなった子どもたちを歌った歌です。日本最南端の島でもあり、行ってみたいと思っていました。

 ニシ浜の波照間ブルーは、とてもきれいでした。


 波照間空港。19人乗り(乗客15人)の小さな飛行機で、石垣空港まで飛ぶそうです。


 最南端の岬には、石碑が三つあります。「波照間の碑」は、蛇が2匹からみあい、全都道府県から運んできた石を抱きかかえるデザインになっていました。これは、波照間島が二度と、日本から切り離されないように、という意味だそうです。石が積んであるところが、蛇です。



 星空観察に行きました。満天の星空で、南十字星が見えました。天の川もくっきり見えました。八重山の歌に「てぃんがーら(天の川)」や星が歌われるのは、このような夜空の下で暮らしてきたからなのだと、感動しました。



 月が上がると空は明るくなって、海にムーンロードが浮かびました。「月ぬかいしゃ」を思い出しました。暗闇を照らす月を、ありがたく、神々しく感じる気持ちがわかりました。


 波照間島には、ヤギがたくさんいました。子ヤギは好奇心が強く、眺めているとすぐ寄ってきました。とても可愛かったです。



 波照間小学校の塀には、「星になった子どもたち」の歌詞が書かれていました。波照間島には、西表島に向かって、子どもたちの慰霊碑があります。


 そのとなりには、戦後の食糧難で島の人たちを救った、ソテツや動物たちへの感謝の碑もありました。


 「泡波」は生産量が少なく、幻の泡盛といわれています。島の売店にはたくさんあったので、お土産にしました。


 自然の美しさと、厳しさと、国境と、戦争の記憶に出会う旅でした。帰りのフェリーでは、波しぶきの向こうに何度も虹がかかりました。西表島、新城島、黒島、小浜島、竹富島を眺めながら、石垣島に帰りました。


 那覇に帰る飛行機では、多良間島、下地島、伊良部島、宮古島、池間島が、きれいに見えました。


 慶良間諸島が見えると、もうすぐ沖縄島です。


 青い海に島々がつらなるのを見ることができて、夢のような旅でした。島は生きていると感じました。

いんやく りお

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